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あめのまひとつじんじゃ

天目一神社
兵庫県 黒田庄駅

御朱印について
御朱印
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神祇伯
神祇伯
2022年05月30日(月)
1455投稿

播磨国多可郡の式内後裔社です。社名の通り鍛治の神様とされる天目一箇神さまを祀っており、この地域には製鉄の技を持つ職人たちが住んでいたとされています。ここ以外には多度大社別宮の一目連神社にも祀られているといわれています。

天目一神社の鳥居

《鳥居と社号碑》
天目一神社以外にも平野神社という社名がついてます。

天目一神社の歴史

《境内図》
この神社は他の式内社と違って再興された式内社であることがしっかりと言及されています。
そして上にある平野神社はこの地域の鎮守社としてあった神社で、天目一神社を再興する際に近くにある神社をいくつも合祀しましたが、住人からすると平野神社の方が所縁が深かったことが社名に残るきっかけになったみたいです。
一応神社本庁下では天目一神社が正式名称のようです。

天目一神社の建物その他

《西脇市の名物マップ》
というかこの地図も上の境内図もそうですが、なかなかにこの西脇市のアピール力がかなり高いです。熱意と愛がないとできないですね☆

天目一神社(兵庫県)

《表参道》
地図では神輿が歩いてましたね。

天目一神社の建物その他

《車止め》
というかわたしも天目一箇神さまはよく知ってるんですけど、この神様の名前が出てるのって『播磨国風土記』が始まりらしいんですよね。つまりこの神社が天目一箇神さまの代表的な神社といっても過言ではないということです。
ちなみに私がこの神様を初めて知ったのはシャナです。そのせいでどうしても天目一箇(てんもくいっこ)と読んでしまいます。理解できる人は仲間(笑)

天目一神社の手水

《手水舎》
水は出ていませんでした。

天目一神社の狛犬

《狛犬像》
なかなかにずんぐりとしたいい体型の子ですね。

天目一神社の本殿

《拝殿》🙏
この地域ではよく見られる外拝殿に見える吹き抜けた形式の拝殿が本殿に繋がっています。兵主神社も同じような形でしたね。

天目一神社の建物その他

《賽銭箱》
榊とお酒と…これはなんだ?

天目一神社の歴史

《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
この神社自体が鍛治の神様として製鉄業者からの崇敬を集めていることから、明治に天目一神社として復興させたときに"ふいご祭り"を復活させたようです。
祭りの日にちが旧暦時には11月8日なのにもやはりちゃんと意味があり、同じ日付で同じく金属の神様を祀る南宮大社でもふいご祭りが行われます。

天目一神社(兵庫県)

《幣殿》
長い回廊で繋がっています。

天目一神社(兵庫県)

《本殿》
神明造です。たしかに近くの神社に比べるとかなり大きめです。

天目一神社の鳥居
天目一神社の末社

《末社群》
境内図を見ると御祭神は分からなくなっているようです。朱い鳥居ですからお稲荷さんでしょうか?

天目一神社(兵庫県)

《切り株》
かなり大きな木があったようです。

天目一神社の末社

《末社2》
こちらでは天御中主神さま、比留女之命さま、龍神さまを祀るようです。

天目一神社(兵庫県)

《ガチャポン》
最後にこの神社の鳥居の前になんとガシャポンがあり、お守りやおみくじがあります!なかなかにこの神社はいろんな意味でアウトローというか革新的というか、なかなか良いですね!

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歴史

 天目一神社は、延喜五年(927)に編集された『延喜式』神名帳みその名が見られる''式内社''。奈良時代(710〜794)初期に編まれた『播磨国風土記』の詫賀郡の条に御祭神の天目一箇命が登場することから、極めて古い時期に成立した神社と考えられています。
 そのような古社も、天正八年(1580)に三木城主別所氏の兵火(一説に平家の時代とも)によって記録は失われ(『神社誌』)、やがてお社がどこにあったのか知る人はいなくなってしまいました。それでも多可郡内に各所に天目一箇命にまつわる伝承が伝えられています。
 明治時代、再び式内社への関心が高まると、飾磨県による神社調査が行われ、著名な学者や歴史家が「天目一神社は今、大木村に在り」と推定します(『神祇志料』、『播磨国式内社考』、『大日本地名辞書』等)。様々に論争が交わされましたが、当時の多可郡神職会も大木説を支持するに至り、復興の機運が一気に高まったのです。
 再建地となったのは、古代建築の礎石が残り古くから神聖視されていた惣堂天王社の杜。ここには天目一社の小さな祠があったようで、明治末期から大正の初めにかけて村内の明神社、大年神社、若宮神社、さらに平野神社が合祀されます(『神社誌』)。そして大正十二年(1923)、新たな社殿が完成し復興されたのが現在の天目一神社です。

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天目一神社の基本情報

住所兵庫県西脇市大木町648
行き方
アクセスを詳しく見る
名称天目一神社
読み方あめのまひとつじんじゃ
通称平野神社
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレなし
電話番号0795-32-1323(安田稲荷神社)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)
《配祀神》
大雀命(オオサザキノミコト)
日本武命(ヤマトタケルノミコト)
天穂日命(アメノホヒノミコト)
創建時代不詳(復興は大正十二年)
創始者不詳
本殿神明造
ご由緒

 天目一神社は、延喜五年(927)に編集された『延喜式』神名帳みその名が見られる''式内社''。奈良時代(710〜794)初期に編まれた『播磨国風土記』の詫賀郡の条に御祭神の天目一箇命が登場することから、極めて古い時期に成立した神社と考えられています。
 そのような古社も、天正八年(1580)に三木城主別所氏の兵火(一説に平家の時代とも)によって記録は失われ(『神社誌』)、やがてお社がどこにあったのか知る人はいなくなってしまいました。それでも多可郡内に各所に天目一箇命にまつわる伝承が伝えられています。
 明治時代、再び式内社への関心が高まると、飾磨県による神社調査が行われ、著名な学者や歴史家が「天目一神社は今、大木村に在り」と推定します(『神祇志料』、『播磨国式内社考』、『大日本地名辞書』等)。様々に論争が交わされましたが、当時の多可郡神職会も大木説を支持するに至り、復興の機運が一気に高まったのです。
 再建地となったのは、古代建築の礎石が残り古くから神聖視されていた惣堂天王社の杜。ここには天目一社の小さな祠があったようで、明治末期から大正の初めにかけて村内の明神社、大年神社、若宮神社、さらに平野神社が合祀されます(『神社誌』)。そして大正十二年(1923)、新たな社殿が完成し復興されたのが現在の天目一神社です。

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