当神社の創祀は紀元1935年(西暦1275年)建治元年第91代後宇多天皇様の御字にして讃岐は東西に家族名家が割據していた時に香川郡の主護取初代香西資村氏が香西の勝賀城を築造して威を振い第3代香西資茂氏の時代にして瀬戸内海の制海权を掌握し陸海軍の武威盛んであった。紀州の住人にして新羅三郎義光の11代の岡田丹後守重宗氏ありて香西家の旗下の将として招かれ菟原郷を治めし人である重宗氏は節原郷西浜域主にして城は何処に在りしか詳でないが西方寺辺とも伝えられ陳屋の守護神として紀州の熊野の王子小社より分霊を勧請奉齋せし所と伝えられている。
由緒書き一部抜粋