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【越中國 式内社巡り】(過去の参拝記録)
道神社(みち~)は、富山県射水市作道にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は、大彦命、彦屋主田心命。
創建は不詳。祭神の彦屋主田心命は、大彦命の孫、彦瀬立大稲輿命の子で、加賀南部の大豪族・道君の祖神である。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越中國 射水郡 道神社 小」の論社となっている。(ほかの論社としては、「道神社」(富山県高岡市五十里)、「道神社」(氷見市中田)がある)。近世には、作道ほか38ヶ村の総社として崇敬された。明治時代に近代社格制度のもと郷社に列っし、その後県社に昇格した。
当社は、あいの風とやま鉄道・小杉駅の北方4kmの田園地帯の中、平地の住宅街の端にある。境内の広さは、住宅数軒分とコンパクト。雪国仕様の社殿は完全防備で、拝殿はガラスサッシで覆われており、本殿は屋根のみが露出し周囲を板で囲った覆屋タイプ。境内の古木が古社らしさを演出している。
今回は、越中國の式内論社、富山県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、我々以外には参拝者は見掛けなかった。
境内北西端入口の<鳥居>と<社号標>。住宅街の真ん中にある。
参道右側の<手水舎>。
<神橋>を渡って境内に入る。
神橋の下を見ると、住宅街の水路で泳ぐ立派な錦鯉たち。(;゚Д゚)!
参道左側の<神馬>。
<拝殿>全景。雪国仕様で、ガラスサッシで囲われている。
参道左側の<狛犬>。ウシシと笑っているみたい。
参道左側の<狛犬>。口が大きく笑い過ぎ。(^_^;)
<拝殿>正面。
拝殿後ろの<本殿>。屋根のみむき出しで、サイドをすべて木材で囲われているタイプ。
社殿右側の<金刀比羅社>。
金刀比羅社の裏側、背中合わせで建っている<山王社>。
社殿左手の社務所との間に立っている<御神木>。
社殿左手に立っている<社務所>(宮司さん宅)。御朱印はこちら。
境内でひときわ目立っている紅葉。きれいすぎ。(^▽^)/
#道神社
ご祭神はオオヒコの命、ヒコヤヌシタゴコロの命、オキナガタラシヒメの命、ホンダワケの命、ヒメの命、アマテラス皇太神。
このうち道神社の当初からのご祭神は最初の2座。残る4座は大正時代に合祀された。ヒメの命までの3座が八幡社、アマテラス皇太神は神明社のご祭神だった。
#大彦命
第8代・孝元天皇の皇子。日本書紀およびパンフによれば、第10代・崇神天皇の時代に四道将軍の一員として北陸道へ派遣された。御子のタケヌナカワワケの命も同じく四道将軍で、東海道を平定した。父子は会津で合流し、彼らが「会った」ためこの地を会津と呼ぶ、と古事記にある。
#彦屋主田心命
先代旧事本紀では屋主田心命。
宮司さんと思われる方に尋ねたところ、タケヌナカワワケの命の子でオオヒコの命の孫と。
先代旧事本紀に、第12代・景行天皇または次の成務天皇の時代にイチイリの命が”こしの国造”に任命されたとある。また、イチイリの命はヤヌシタゴコロの命のひ孫で、”あへの臣”という氏族の先祖であるとも記す。古事記や日本書紀によれば、タケヌナカワワケの命が”あへの臣”の祖だ。
普通に考えれば、ヒコヤヌシタゴコロの命はオオヒコの命やタケヌナカワワケの命の血を引くはずだ。ところがネット上に、彼はオオヒコの命の孫だが父親はタケヌナカワワケの命ではないとするサイトがある。それで確認のため、上記の質問をした。
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