みたちやまいなりじんじゃ
御館山稲荷神社公式長崎県 諫早駅
◉授与所:9時〜17時
◉授与所は水曜日定休
ただし、水曜日が1日や祝祭日の場合は開所しております
狐面に睡蓮、シャボン玉、金魚をあしらった涼しげな三面御朱印です。文披月(ふみひらきづき・ふみひろげつき)とは7月異称です。・初穂料:1500円・直書きのみ・郵送不可
梅雨をイメージした三面ご朱印です!初穂料:1500円直書きのみ(郵送対応不可)
氏子以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | 真ん中に御館山稲荷神社の文字が書かれ、社印が押されたシンプルな御朱印です。 季節に合わせた、いろも… | ||
限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | ◉書き入れ(直書き) 片面通常御朱印 見開き通常御朱印 月替り三面御朱印 ◉書き置き 切り絵御朱… 続きを読む | ||
郵送対応 | 郵送対応は、当社授与品サイトでのみ承っております。 授与品サイト https://mitachi… 続きを読む | ||
御朱印帳 | |||
授与品のネット対応 | https://mitachiyama-juyohin.net/ | ||
駐車場 | 有り |
「日に一度御館の山に祈るこそ二十の吾の日課にてありき」と郷土の詩人伊東静雄に詠まれた当神社は、県央諫早、宇都の霊場に鎮座する。
御館山は、1300年前の大宝年間(西暦701~703年)に、行基菩薩が九州巡行の折、五智光山として開基された。平安末期、鎮西八郎為朝が館を築き武術を練ったことから、御館山と呼ばれるようになったと伝えられている。
山頂には元禄5(1692)年 五智光山 四面上宮、宝暦元(1751)年 豊前英彦山の豊前坊が鎮座されている。また山中には霊塚が多数散在し、稲荷信仰の霊地として「幸恵美山―こうえみさん」と民衆の崇拝で賑わってきた。
寛延三(1750)年、諫早藩主八代・茂行公の代、親藩鍋島家との間に百姓一揆(諫早一揆)が起こり、所領召し上げによって民衆は困窮を極め、各地の神社に返地の祈願が行われた。その折、佐賀綾部八幡の御神託により、京都伏見稲荷を勧請し、上り地返還、諸願成就、領内安泰を祈願するため正林の大乗院に社殿を建立し祭祀された。
その後、明和四(1767)年、先に没収となった領地は全部返還されたが、これは稲荷神社の御加護によるものとして、この大神を篤く祀ることとなった。
明治五(1872)年、社寺分祀の令により、この稲荷社を御館山に移し、十五代・武春公の代に祭祀された藤の森稲荷神社と合祀した。以来、衣食住の祖神、生産豊饒・商売繁盛・家運長久・家内安全・除災招福・交通安全の守護神として現在に至っている。
また御館山稲荷神社の境内には、本殿以外にも『鎮西八郎為朝ゆかりの矢受け石』『四面上宮と船魂明神』『開運の神として知られる豊前坊』『奥殿』など参拝場所が点在しています。
また春には満開の桜や桃、秋には境内から望む中秋の名月など四季折々の風情を感じることができます。
『酒は酒屋で 濃い茶は茶屋で 諫早名物 おこしにうなぎ お参りするなら 御館山稲荷へ』と親しまれた当神社のご利益を戴かれながら御館山が持つの清らかさと力を感じて見てください。
住所 | 長崎県諫早市宇都町61−1 |
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行き方 | 【重要】 当社は山道入口がわかりにくく、車のナビを設定すると麓の社務所に案内されますので、御注意下さい。 ■スマートフォンのgoogle mapアプリであれば、御館山稲荷神社で設定頂ければ大丈夫です。 ■車のナビをお使いの場合は、諫早市永昌町42-24を設定頂ければ山道入口に着きますので、そのまま山道をお進み下さい。 |
名称 | 御館山稲荷神社 |
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読み方 | みたちやまいなりじんじゃ |
参拝時間 | ◉授与所:9時〜17時 ◉授与所は水曜日定休
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参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | ご祈祷以外で社殿への昇殿は出来ません |
トイレ | 授与所の奥にあります |
御朱印 | あり 真ん中に御館山稲荷神社の文字が書かれ、社印が押されたシンプルな御朱印です。
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり ◉書き入れ(直書き)
◉書き置き
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御朱印の郵送対応 | あり 郵送対応は、当社授与品サイトでのみ承っております。 授与品サイト
【初穂料のお納めについて】 銀行振込み・クレジットカード・コンビニ払いで初穂料のお納めができます ・クレジットカードは
・コンビニ払いは、初穂料+定額送料(400円)の他、190円の手数料がかかります |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0957-26-1230 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@mitachiyama.jp |
ホームページ | https://mitachiyama.jp |
お守り | あり |
SNS |
ご祭神 | 宇迦之御魂神,大宮売神,猿田彦神 |
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創建時代 | 1750年(寛延3年) |
ご由緒 | 「日に一度御館の山に祈るこそ二十の吾の日課にてありき」と郷土の詩人伊東静雄に詠まれた当神社は、県央諫早、宇都の霊場に鎮座する。 御館山は、1300年前の大宝年間(西暦701~703年)に、行基菩薩が九州巡行の折、五智光山として開基された。平安末期、鎮西八郎為朝が館を築き武術を練ったことから、御館山と呼ばれるようになったと伝えられている。 山頂には元禄5(1692)年 五智光山 四面上宮、宝暦元(1751)年 豊前英彦山の豊前坊が鎮座されている。また山中には霊塚が多数散在し、稲荷信仰の霊地として「幸恵美山―こうえみさん」と民衆の崇拝で賑わってきた。 寛延三(1750)年、諫早藩主八代・茂行公の代、親藩鍋島家との間に百姓一揆(諫早一揆)が起こり、所領召し上げによって民衆は困窮を極め、各地の神社に返地の祈願が行われた。その折、佐賀綾部八幡の御神託により、京都伏見稲荷を勧請し、上り地返還、諸願成就、領内安泰を祈願するため正林の大乗院に社殿を建立し祭祀された。 その後、明和四(1767)年、先に没収となった領地は全部返還されたが、これは稲荷神社の御加護によるものとして、この大神を篤く祀ることとなった。 明治五(1872)年、社寺分祀の令により、この稲荷社を御館山に移し、十五代・武春公の代に祭祀された藤の森稲荷神社と合祀した。以来、衣食住の祖神、生産豊饒・商売繁盛・家運長久・家内安全・除災招福・交通安全の守護神として現在に至っている。 また御館山稲荷神社の境内には、本殿以外にも『鎮西八郎為朝ゆかりの矢受け石』『四面上宮と船魂明神』『開運の神として知られる豊前坊』『奥殿』など参拝場所が点在しています。 また春には満開の桜や桃、秋には境内から望む中秋の名月など四季折々の風情を感じることができます。
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