すずじんじゃおくみや
須須神社奥宮石川県 穴水駅
参拝自由
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楽しみ方
能登国珠洲郡の式内社"須須神社"の奥宮です。元々はこちらの奥宮のある鈴ヶ嶽に鎮座しており、天平勝宝年間に現在の高座宮に遷座したとされています。鈴ヶ嶽は修験道の行場になっており山伏山とも言われていました。この山の上から北海航行の目印とされていたことから航海安全の神様として篤く崇敬されていました。
《社号碑と一の鳥居》
青の洞窟へ向かう途中の道にあります。
《鈴ヶ嶽の由緒書き》
社叢は天然記念物となっています。
《一の鳥居》
《表参道①》
この辺りは少し整備されていますね。
《二の鳥居》
扁額に奥宮と書かれてますね。
《表参道②》
二の鳥居を越えると途端に山道になって足取りが重くなります。
《境内》
現在はあまり人通りがないのか灯籠などが倒壊したままになっています。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
この鈴ヶ嶽は平安時代には海上警戒の設備を置いており、何か非常事態があったときに狼煙を焚き、それを郡家で受け継いで国府に届け、そして京の都へ届けるという大変重要な役目を持っていたようです。
須須神社が式内社に選定されたものそういった都に関連した役割を持っていたことが由来なのかもしれませんね。
《獅子狛犬像》
倒壊を恐れてか台座から避難されています。
《本殿》
《焼却炉》
《二の鳥居手前》
《須須神社遥拝所》
ちなみに奥宮からまた北に向かった能登半島最北端の地である狼煙町に道の駅狼煙があるのですが、その真向かいにこの遥拝所があります。位置と向き的に奥宮に対する遥拝所じゃないかなと思いこちらで紹介させていただきます。
そして地名の狼煙は前述した非常時を示す狼煙に由来するものと思われます。
崇神天皇の御代の創建と伝え、古来より鈴ヶ嶽奧神社と号し、また、鈴奧大明神と称えられ山伏山(標高172メートル)の頂上に鎮座し、海上からの景観は山容優美にして、鈴を逆さにしたような神奈美の霊山で、北海航行の目標、漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期には海上警戒の設備を置き、峰火が一度あがると郡家、国府そして京の都へ伝達されたと云われている。明治12年現在の社号に改称。平安時代の昔から修験者の往来をみるようになって、かつての嶽山、珠洲ヶ嶽が山伏山と呼ばれるに至ったのである。社叢はタブノキ、シイノキ、ヤブツバキ、アカガシを交えた照葉樹がうっそうと生い茂り、石川県指定天然記念物で植物学上注目すべき林相である。[石川県神社庁HP当神社ページより抜粋]
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| 名称 | 須須神社奥宮 |
|---|---|
| 読み方 | すずじんじゃおくみや |
| 通称 | 鈴奥大明神 |
| 参拝時間 | 参拝自由 |
| 参拝にかかる時間 | 約30分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 電話番号 | 0768-88-2772(須須神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご祭神 | 美穂須須見命 武甕槌命 経津主命 |
|---|---|
| ご神体 | 鈴ヶ嶽 |
| 創建時代 | 崇神天皇の御代 |
| 創始者 | 不詳 |
| 本殿 | 切妻造 |
| ご由緒 | 崇神天皇の御代の創建と伝え、古来より鈴ヶ嶽奧神社と号し、また、鈴奧大明神と称えられ山伏山(標高172メートル)の頂上に鎮座し、海上からの景観は山容優美にして、鈴を逆さにしたような神奈美の霊山で、北海航行の目標、漁だめの森、御神体山として崇拝され、平安中期には海上警戒の設備を置き、峰火が一度あがると郡家、国府そして京の都へ伝達されたと云われている。明治12年現在の社号に改称。平安時代の昔から修験者の往来をみるようになって、かつての嶽山、珠洲ヶ嶽が山伏山と呼ばれるに至ったのである。社叢はタブノキ、シイノキ、ヤブツバキ、アカガシを交えた照葉樹がうっそうと生い茂り、石川県指定天然記念物で植物学上注目すべき林相である。[石川県神社庁HP当神社ページより抜粋] |
| ご利益 | 交通安全家内安全五穀豊穣 |
| 体験 | 祭り伝説 |
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