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楽しみ方氷川神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年02月07日(土) 07時57分56秒
参拝:2026年2月吉日
足立区区内最古の氷川神社である伊興氷川神社と、その近くにある伊興遺跡公園に散策しました。
平日昼頃。
閑静な場所ですが、自転車等でやってきて手を合わせてる姿をぼちぼち見かけました。
境内社が3つあり、その屋根の瓦が面白かったです。
足立区HPより
↓
淵の宮(伊興氷川神社)(ふちのみや(いこうひかわじんじゃ))
■足立区登録記念物(史跡)〈昭和57年12月10日登録〉
毛長川沿岸に位置する伊興氷川神社は、渕の宮とも呼ばれています。地元では「ふじのみや」と濁って読んでいたそうです。
およそ6000年前、奥東京湾の海中にあった足立区が陸地化していく過程で、この付近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮(埼玉県さいたま市)の氷川社から分霊を勧請(かんじょう)したものと考えられており、足立区内最古の氷川社です。
この周辺は渕(水を深くたたえているところ)が入りくんでいたところから「渕の宮」と呼ばれ、区内一帯が渕江郷や渕江領などと呼ばれるようになりました。
淵の宮は、渕江領の総鎮守だったと伝わっており、江戸時代の『新編武蔵風土記』の足立郡伊興村の項には、「氷川社 、当村及び竹塚、保木間三村の鎮守とす」と記されています。しかし、明治5年(1872)から、伊興一村の鎮守となりました。
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)の三柱と伝わっています。
平日昼頃。
閑静な場所ですが、自転車等でやってきて手を合わせてる姿をぼちぼち見かけました。
境内社が3つあり、その屋根の瓦が面白かったです。
足立区HPより
↓
淵の宮(伊興氷川神社)(ふちのみや(いこうひかわじんじゃ))
■足立区登録記念物(史跡)〈昭和57年12月10日登録〉
毛長川沿岸に位置する伊興氷川神社は、渕の宮とも呼ばれています。地元では「ふじのみや」と濁って読んでいたそうです。
およそ6000年前、奥東京湾の海中にあった足立区が陸地化していく過程で、この付近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮(埼玉県さいたま市)の氷川社から分霊を勧請(かんじょう)したものと考えられており、足立区内最古の氷川社です。
この周辺は渕(水を深くたたえているところ)が入りくんでいたところから「渕の宮」と呼ばれ、区内一帯が渕江郷や渕江領などと呼ばれるようになりました。
淵の宮は、渕江領の総鎮守だったと伝わっており、江戸時代の『新編武蔵風土記』の足立郡伊興村の項には、「氷川社 、当村及び竹塚、保木間三村の鎮守とす」と記されています。しかし、明治5年(1872)から、伊興一村の鎮守となりました。
祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)の三柱と伝わっています。







御神木



本殿




境内社が3つ

浅間神社①

浅間神社②

浅間神社③
瓦が気になる。波?
瓦が気になる。波?

名前はないが

たぶん稲荷神社ですよね。
狐の瓦。
狐の瓦。

三峰神社①

三峰神社②
この瓦はなんだろう
この瓦はなんだろう

3つの境内社から離れた裏の方に鳥居が見える


熱田大神



鳥居から出る

神社の近くに、伊興遺跡公園。

縄文時代中頃まで、足立区は海の底だったらしい。
陸地化する過程での遺跡が見つかり、展示されてます。
陸地化する過程での遺跡が見つかり、展示されてます。





展示室(撮影OK)
すてき
投稿者のプロフィール

ま~ちゃん253投稿
令和七年一月、急に神社巡りがしたくなりました。 意識すると、身近なところに神社がたくさん存在してる事に気が付きました。小さいところから有名どころまで参拝できたらと思ってます。もっと読む
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