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多摩四国八十八箇所

弘法大師
専用御朱印
巡礼中575人

概要

秩父山塊から東流する多摩川とその支流一帯に起伏する丘陵と台地は、古く多摩郡と呼ばれ、北、南、西の多摩三郡が設けられていた。この地方は記紀、万葉の時代以前から開け、今の東京都府中市・国分寺市にかけては、東国最大の武蔵国府及び国分寺・国分尼寺が置かれ、文化の中心地であった。
更に多摩地方は鎌倉や江戸にも近く、縦には鎌倉の諸街道、横には甲州・青梅・五日市等、江戸への諸街道が発達し古来交通の要衝であった。
これらの諸街道や丘陵地に沿って古くより集落が発達し、あまたの古跡が点在したが、分倍河原の合戦を初めとする幾多の大合戦により、多くの寺社及び文物が灰燼に帰した。
この地域は古くから真言の法灯が栄え、大師信仰の盛んな土地で、江戸時代文政元年(1818)以前に多摩八十八ヵ所が開かれたが、昭和9年(1934)、弘法大師1100年ご遠忌に当たり、域内真言宗寺院を料合し、多摩新四国八十八ヵ所霊場として現在の形に改められた。弘法大師の「誓いは龍華の開くまで」にあやかって「龍華会」と名付けられ、88番金剛寺に本部が置かれている。
第二次世界大戦前、何回かの総供養が行われ、巡拝も非常に盛んになったが、やがて戦火が激しくなり参拝も途絶えがちであった。
戦後、社会の落ち着きとともに、巡拝の人もようやく増えはじめ、昭和44年には団体参拝が復活し、毎年、巡年団が多摩野に鈴の音を響かせている。
霊場は井の頭池に近い武蔵野市の安養寺に始まり、東京都下の旧北多摩・西多摩・南多際地域と巡って、日野市の高幡不動尊金剛寺を打ち止めとしている。寺格にとらわれず、は順番通りに配列されており、巡拝に便利である。
多摩地方は新宿までわずか30分から1時間という至便の地であることから、戦後都市化の波が激しく、霊場寺院の変容も甚しいが、その激流の中にあって大師の法灯近びに文化遺産は、しっかりと守られており、今はほとんど失われてしまった武蔵野の面影を残す寺院も少なくない。
霊場寺院には関東三山の一角を担ぅ高尾山薬王院、関東三大不動の高幡不動尊金剛寺の二大寺院を初め、1200年の歴史を誇る武蔵国分寺、平将門伝承の青梅金剛寺、あきる野大悲願寺等の古刹、あるいは源氏・足利氏・小田原北條氏を初めとする戦国武将、新選組ゆかりの寺にも多く、変化に富んでいる。
見どころは、29番国分寺の仏像と万葉植物園、45番安楽寺本堂と46番梅岩寺の枝垂桜、47番青梅金用寺の寺宝の将門ゆかりの梅、59番大悲寺の重宝と白萩,68番高尾山菜王院と明治の森国定公園、88番高幡不動尊金剛寺の丈六不動三尊と文化財・山内八十八ヵ所などである。
また、巡拝路に沿って、井の頭公園、神代植物園、深大寺、大国魂神社、分倍河原古戦場、多摩湖、鳩の巣渓谷、吉野梅郷、御嶽神社、秋川渓谷、多摩御陵、多摩動物公園などの名所旧跡が点在している。
各霊場寺院には統一された御納経が準備してあり、巡拝者に頒布している。東京の都心から近いので休日を利用して巡拝することができ、自家用車またはサイクリングの若者も多い、所要日数は電車とバス乗り継ぎで10~15日、自家用車で5~6日、貸切バスで7日ぐらいである。

引用:巡拝事典

基本情報基本情報

札所数札所数:88
かかる時間電車、バス:10~15日、車:5~6日、貸切バス:7日
別名多摩八十八ヶ所霊場、多摩新四国八十八ヶ所霊場
開創年1940年
連絡先高幡不動尊金剛寺龍華会本部 042-591-0032

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