ほうおんじ|日蓮宗|妙梅山
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報恩寺の編集履歴
2020年12月14日 19時42分
ご由緒
身延9世成就院日学の門子である報恩坊日雄が自らの名をとって寺号となした。
もと紅梅山といった山号は、波木井政長が父への報恩供養のため紅梅3寺を建てるも後に一寺が廃寺となっていたものを、日雄が乞うて紅梅の山号を頂き、その後日盛が妙梅山と改められた。
「甲斐国誌」によると「古ハ真言宗ニテ小沢ト云処ニ在リキ、改宗シテ後河決ノ為ニ流亡セシヲ、武田六左衛門ノ先祖某今ノ地ニ移セリ」と記されている。
旧身延岸之坊の末寺。鏡師法縁。
編集前:身延9世成就院日学の門子である報恩坊日雄が自らの名をとって寺号となした。
もと紅梅山といった山号は、波木井政長が父への報恩供養のため紅梅3寺を建てるも後に一寺が廃寺となっていたものを、日雄が乞うて紅梅の山号を頂き、その後日盛が妙梅山と改められた。
鏡師法縁。
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