すわじんじゃ
諏訪神社山梨県 小淵沢駅
参拝:24時間
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | なし |
御朱印は書置き
小淵沢神社巡り⑤甲州街道まで出てきました。教来石は甲州街道の小さい宿場町で、日本武尊が甲府の酒折宮にいた頃、この地に来て、この石の上で休んだので、村人が「経(へ)て来(こ)石」と呼んで経来石(へてこいし)という地名にしたといわれています。この石の上に小さい祠があり日本武尊を祀っていた。その祠を移設した神社とされます。街道沿いに面しており、駐車場はありません。脇の裏道が交通量もないので、寄せて停めて参拝しました。裏の注連柱があることこらこちらが本来の参道なのかな?境内には多くの石仏等がありますが、その由来はよくわかりませんでした。本殿の彫刻が見事らしいのですが、近づけないので確認できませんでした。拝殿に御朱印が用意されておりセルフ式になっていました。今までと異なり初穂料が200円と也しかったのは何故なんだろう?
鳥居
注連柱
手水舎
手水鉢
拝殿
御朱印が用意されています
天保十五年(1844)再建の本殿 覆屋の中の本殿彫刻は見事!らしい
境内
本殿裏に石祠群
神輿庫
忠魂碑
庚申塔
甲子塔
鳥獣供養塔
下教来石諏訪神社の創建は不詳ですが当初は天照皇大神の分霊を御朱印山に勧請したのが始まりと伝えられ、後に諏訪大社(信濃国一宮)の分霊を勧請合祀して諏訪明神と称するようになったそうです。元和3年(1617)に御朱印山から現在地に遷座し下教来石郷の産土神として信仰されました。
江戸時代には幕府から庇護され慶長年間(1596~1615年)には徳川家康から社領1石5斗2升が寄進され、慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光から朱印状を賜っています。
現在の本殿は天保15年(1844)に再建されたもので一間社流造、こけら葺、正面中央に軒唐破風付向拝、棟梁は名工立川和四郎富昌、社殿全体に精巧な彫刻が施され、江戸時代後期に神社本殿建築の遺構として貴重な存在で昭和43年(1968)に付棟札一枚(本社拝殿再建諸色勘定帳)と共に山梨県指定文化財に指定されています。祭神:建御名方命。
住所 | 山梨県北杜市白州町下教来石22-1 |
---|---|
行き方 | 中央自動車道小淵沢ICより車で約10分
|
名称 | 諏訪神社 |
---|---|
読み方 | すわじんじゃ |
通称 | 下教来石諏訪神社 |
参拝時間 | 参拝:24時間 |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0551-35-2224(氏子総代) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.yamanashi-kankou.jp/rekitabi/jisha/spot/122.html |
ご祭神 | 《主》建御名方命 |
---|---|
文化財 | 下教来石の諏訪神社本殿 付棟札1枚・本社拝殿再建諸色勘定帳(山梨県指定文化財) |
ご由緒 | 下教来石諏訪神社の創建は不詳ですが当初は天照皇大神の分霊を御朱印山に勧請したのが始まりと伝えられ、後に諏訪大社(信濃国一宮)の分霊を勧請合祀して諏訪明神と称するようになったそうです。元和3年(1617)に御朱印山から現在地に遷座し下教来石郷の産土神として信仰されました。 江戸時代には幕府から庇護され慶長年間(1596~1615年)には徳川家康から社領1石5斗2升が寄進され、慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光から朱印状を賜っています。 現在の本殿は天保15年(1844)に再建されたもので一間社流造、こけら葺、正面中央に軒唐破風付向拝、棟梁は名工立川和四郎富昌、社殿全体に精巧な彫刻が施され、江戸時代後期に神社本殿建築の遺構として貴重な存在で昭和43年(1968)に付棟札一枚(本社拝殿再建諸色勘定帳)と共に山梨県指定文化財に指定されています。祭神:建御名方命。 |
体験 | 御朱印 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
25
0