せいうんじ
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栖雲寺ではいただけません
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栖雲寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年06月20日(日)
参拝:2021年6月吉日
令和03年06月19日
西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
かなりの山中^^;
ご住職がご不在だったので、書置きを拝受しました。
※公式ホームページより※
http://www.tenmokusan.or.jp
信玄公にとっての聖地 新生武田の原点 リボーンの場所
業海示寂後69年、武田信満(武田家第十三代当主=信玄より六代前)が天目山で自害し武田家は断絶の憂き目にあいます。
しかし、その後大混乱に陥った甲斐国を救ったのもやはり武田でした。室町幕府は、出家して世捨て人となっていた信満の息子を還俗させ甲斐守護に据えます。その後の武田の繁栄は広く知られるところ。
信満公の菩提寺となって以降は、断絶の危機を乗り越えた新生武田の聖地として庇護を受け広大な寺領を持ち、東日本の幻住派(中峰明本を師とする法脈の一派)の中心的寺院として大いに栄えましたが、信玄没後は勝頼が天目山の戦いで織田信長に敗れ、最期に栖雲寺を目指すも織田の手が早く全焼の難を受けます。それを見た勝頼は失意のうちに引き返し自害して武田は終焉します。しかし徳川家康の寺領寄進を受けて伽藍を再建、旧観を取り戻しました。衰退はしても、戦火を免れた本尊、開山像など、多くの文化財を有する古刹として現在に至ります。
西沢渓谷トレッキングの際に参拝。
かなりの山中^^;
ご住職がご不在だったので、書置きを拝受しました。
※公式ホームページより※
http://www.tenmokusan.or.jp
信玄公にとっての聖地 新生武田の原点 リボーンの場所
業海示寂後69年、武田信満(武田家第十三代当主=信玄より六代前)が天目山で自害し武田家は断絶の憂き目にあいます。
しかし、その後大混乱に陥った甲斐国を救ったのもやはり武田でした。室町幕府は、出家して世捨て人となっていた信満の息子を還俗させ甲斐守護に据えます。その後の武田の繁栄は広く知られるところ。
信満公の菩提寺となって以降は、断絶の危機を乗り越えた新生武田の聖地として庇護を受け広大な寺領を持ち、東日本の幻住派(中峰明本を師とする法脈の一派)の中心的寺院として大いに栄えましたが、信玄没後は勝頼が天目山の戦いで織田信長に敗れ、最期に栖雲寺を目指すも織田の手が早く全焼の難を受けます。それを見た勝頼は失意のうちに引き返し自害して武田は終焉します。しかし徳川家康の寺領寄進を受けて伽藍を再建、旧観を取り戻しました。衰退はしても、戦火を免れた本尊、開山像など、多くの文化財を有する古刹として現在に至ります。
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