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上領八幡宮ではいただけません
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かみりょうはちまんぐう

上領八幡宮
山口県 重安駅

パーキング
駐車場
あり

境内にあり

御朱印について
御朱印
-
ありません

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神祇伯
神祇伯
2023年09月22日(金)
1458投稿

美祢市にある八幡宮で、500m南にある八幡磨能峰宮が下領八幡宮と呼ばれており、対になる形で信仰されていたようです。八幡磨能峰宮が明治になってかつての宇周宮だったころの形式に戻したため、主祭神と配祀神がきれいに反対になっています。

上領八幡宮(山口県)

《一の鳥居》

上領八幡宮(山口県)

《ニの鳥居》
一の鳥居から参道内を通れますが通行止めになってます。
大きい道に出てから社殿側まで近づくと次の駐車場に入れる道があります。

上領八幡宮(山口県)

《駐車場》

上領八幡宮(山口県)

《三の鳥居》

上領八幡宮の手水

《手水舎》
きれいな水が張られていました。

上領八幡宮(山口県)

《拝殿》🙏
中で音がするなぁと思ったら女性の神主さんが何やら社殿の設を整えていました。会合か祈祷でもあるのでしょうか。飲み物とかあったので会合っぽかったですね。

上領八幡宮(山口県)

《本殿》
こちらは入母屋造接続型の権現造です。

上領八幡宮(山口県)

《猿田彦神像》
👁チェックポイント‼️
この猿田彦神さまに掛かっているのは家畜に鍬や鋤を引かせるために繋ぐ「猿尾」と呼ばれるもので、これを年始に編んで御神像に掛けるのだそうです。
猿田彦神さまというと神話から交通安全や導きの神様で有名ですが、こちらでは農耕神としての側面が強いらしく、田おこしに使う農具を通して一年始めに豊穣を祈る文化と思われます。
八幡磨能峰宮の方は鼻が低かったのでどなたか分かりにくかったですが、こっちは逆に鼻で絞り込めますね。

上領八幡宮の建物その他

《何かの石碑》
よく読めませんね。

上領八幡宮(山口県)

《末社?》
ちなみに後ろにうっすらと見えますが、この辺りは石灰岩がごろごろしています。

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上領八幡宮の基本情報

住所山口県美祢市大嶺町東分1620
行き方
アクセスを詳しく見る
名称上領八幡宮
読み方かみりょうはちまんぐう
通称上領八幡宮
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印なし
電話番号0837-52-2743
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 応神天皇
 神功皇后
 湍津姫命
 市杵島姫命
 田心姫命
《配祀神》
 天照大神
 蛭子命
ご神体不詳
本殿権現造
ご由緒

社伝によると、太古上領付近は四方を大立山で囲まれ、中央部は芦の生えた大沼が多かった。中でも柳の沼が最も大きな沼であって、土地の農民は大立山を伐採し、沼を埋めて田地を造り、そこへ氏神様をお祀りした。御祭神は天照皇大神・蛭子命で、最初臼の上に奉安していた。或年の大風大雨により、この土地一帯は川となり濁流がどうどうと逆巻き、実に凄じき有様であったが、臼の上に鎮座まします祠は不思議にも流れなかった。それを万代嘉六と云ふ人がみつけ、濁流の去った後その地を臼と名付け、其所へ沖田懸りの井手を堰いた。現在もこれを臼井手の堰と呼ぶ。その堰の川下に珍山と云ふ所があり、其処へ御祭神を御遷座し、宇須能峯社と称え祀り、新開鎮守の氏神とした。其の後源頼朝の時代、山城国の石清水八幡宮を勧請し、社殿を岩畔の森へ造営したが、これが上領八幡宮の創建である。その側へ、宇須能峯社をお迎えして奉祀したのが相殿宇須能峯社である。此の岩畔の森を大元とも云い、神を大本の神とも申し伝える。又珍山の麓に穴があり、之を昔から「縁故穴」と称する。此の穴の清水を、十四日の未明に汲み取り精米一斗を炊き、これを糊として桶に入れ、十五日の朝午前六時頃桶のまま神に供える。又神饌は、ご飯を竹筒で押し出し、米の生粉で丸く握り、生茄子を小さく切って塩にもみ、同日正午頃土器に盛り神前に供すのが旧例である。明治六年(一八七三)村社に列する。別記 古来、陰暦八月十五・十六日を以て、例祭日とした。その訳は、十五日は八幡宮の誕生日であるため、八月は八幡宮の八に因んでという。尚、山城国石清水八幡宮を当地へ勧請したのが、八月十五日の夜半であった。この夜は名月が空にうかび、あたり一面は月影が清かであった。この時、珍山の麓にある岩穴より湧き出づる清水を汲んで新穀を炊き、「月御供」と称して、神前に供したという。このように、当社の例祭は秋の名月日に行われてきた。明治五年(一八七二)に陰暦から太陽暦に変更になったが、それ以降も例祭は陰暦の八月十五日であった。然し、明治四十三年(一九一〇)、陰暦を陽暦に訂正し、それ以降は九月十五日を例祭日とした。[山口県神社庁HP当神社ページより抜粋]

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