こうあじ
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【深川興阿寺】
防長寺社證文によると、「緣記証文旧記棟札等無之、大寧寺二十七代明山和尚中興開山なり、開基の位牌あり、三条内大臣近衛大将実香、法名大雄仙公居士、天文二十年(1551年)辛亥九月廿四日逝、代々住庵晩年の者故由緒等詳かならず」とある。
寺の創建や云われが定かではないのだが、当時、深川庄は三条家の領地であり、開基は、かつて太政大臣であった三条実香(さねか)と云われている。
興阿寺には、
中央:地蔵菩薩半伽像(じぞうぼさつはんかぞう)
正面右:不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうぞう)
正面左:毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)
が祀られている。
ここからがオモシロイのだが、この三尊像の製作年代は寺の創建よりも前で、鎌倉時代のなかごろ(一二六〇年前後)とみられることから、古くより、この地方で信仰されていた地蔵菩薩を、寺の本尊として迎えられたものとされている。
大寧寺の岩田方丈さまによると、「そもそもこのエリアは、温泉を中心に栄えてきた場所ということもあり、温泉を守る地場の国つ神のような、そのような信仰は、おそらく、この地蔵菩薩よりも前からあって、そういうものと繋がっているように思う」と言われていた。
「温泉とこの地を守る地蔵信仰は、もとよりあって、それがベースとなっている。今の興阿寺内の地蔵菩薩のサイドに、不動明王立像と毘沙門天立像とで、脇を固めているのは、この二像については、この興阿寺の付近に山門があって、山門が無くなるときに、この位置に持って来られたのではないか」と言うことだった。
興阿寺は、大寧寺温泉発見縁起譚(開湯伝説)の、神仏非分離のストーリーの初源の、温泉信仰に触れることができる、、、畏し!
【興阿寺:木造地蔵菩薩半伽像(こうあじ じぞうぼさつはんかぞう)】
像高 一二三・三センチ
【興阿寺:木造不動明王立像(ふどうみょうおうりゅうぞう)】
像高一〇四・0センチ
【興阿寺:木造毘沙門天立像(びしゃもんてんりゅうぞう)】
像高一〇五・五センチ
【興阿寺、方丈さまとともに】
【長門湯本温泉の象徴的的存在の公衆浴場「恩湯」】
山口県最古で、六百年以上の歴史を持ち、泉源は大寧寺。
浴室に入ると目に入るのが、むき出しになった岩盤、岩の割れ目から源泉が湧き出る様子がうかがえる。
長門国一宮住吉神社から授かった、しめ縄のある風景の奥には神像が鎮座し、浴室内は厳かな雰囲気に包まれている。
【興阿寺と住吉神社の建築的神仏非分離】
大寧寺に残る神話、住吉神温泉発見縁起譚が展開されて600年経た今も、物語の波動が、長門湯本エリアに宿っている。
「恩湯」のいただきには、住吉神社が祭られている。
その真横に興阿寺(こうあじ)。
なんと神社とお寺が廊下で繋がっている。
住吉神が袈裟を纏う、神仏非分離の物語を具体的に表現した建築物ではないか、、、畏し!
なんと神社とお寺が廊下で繋がっている。
この住吉神社は元禄期に、四ノ瀬から引社されたようだ。
温泉縁起譚のストーリーが背景にあり、場所住民の意志で、この接続がなされたのであろう。
名称 | 興阿寺 |
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読み方 | こうあじ |
電話番号 | +818019286524 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 室町時代後期(1682-1573)、かつての太政大臣であった三条実香さんじょうさねかによって開基された。 木造地蔵菩薩半跏像(像高123.3cm)を中尊として、脇侍に木造不動明王立像(像高104.0cm)・木造毘沙門天立像(像高105.5cm)を配した珍しい三尊像の形式である。 当三尊像の製作年代は寺の創建よりも前で、鎌倉時代中頃(1260前後)とみられる。 三尊像共、長門市指定有形文化財。 (境内の案内板(平成9年1月 長門市教育委員会)より) その後、大寧寺27世明山和尚が中興開山したと伝わる。 |
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宗旨・宗派 |
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