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【長門國 古社巡り】
中山神社(なかやま~)は、山口県下関市綾羅木本町にある神社。旧社格は県社。祭神は、中山忠光公、明治天皇、天照皇大神。境内の中山忠光墓所は国指定史跡。
創建は江戸時代末期の1865年、幕末に尊王攘夷の立場で活動し前年に暗殺された公家の中山忠光公を祭神として祀る「中山社」の社殿を建てたのが始まり。1875年以降、祭祀及び修繕費などが官費支給となっている。一時社号を廃し「招魂社」となり、幾度か社地を遷座するが、1923年に現在地に遷座、1928年には社号を「中山神社」とし、県社に列格している。
当社は、JR山陰本線・綾羅木駅の北西0.8kmの海に近い平地の住宅街の中にある。境内はほど良い広さで、左右に長い神門(天松門)をくぐると、左右翼殿を備えた大きな社殿の他、その北側には国指定史跡・中山忠光墓所、その南側には宝物殿と境内社・愛新覚羅社がある。境内には海が近いからか松の木が多く、海を隔てた清国との繋がりを感じさせてくれる雰囲気が非常に良い。
今回は山口県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、特に他の参拝者は見掛けなかった。
境内東端入口の<鳥居>と<社号標>。
割と小さな<社号標>。ただ実はこの<筆跡>がポイント。なかなか個性的な筆跡ですね。
あとで誰の字か分かります。(o^―^o)
鳥居前の撮影位置から振り返ると、まっすぐの参道。昔から親しまれているのがよく分かる。
鳥居をくぐって進むと<天松門(神門)>がある。両側の透塀と合わせ、心地いい格式の高さ。
天松門に掛かる<扁額>。こちらの筆跡も社号標と同じ字体。
天松門をくぐってすぐ右側にある<手水舎>。
<手水舎>は、ほど良い華やかさで気持ちが良い。
参道を進むと、少し高いところにある<拝殿>。拝殿の両側は、左右に対称的な翼殿を備えている。
<拝殿>全景。横方向にも大きい。
<拝殿>正面。なぜかこの扁額だけは一般的な字体。なんでかな。(^_^;)
拝殿に向かって右手にある<さざれ石>。
社殿の右手(北側)、一段高い小山の上にある国指定史跡の<中山忠光墓所>。
社殿の左手(南側)のエリアを見てみる、突き当りは<宝物館>。祭神の中山忠光公、その曾孫で中国・清王朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀に嫁いだ浩、その子の愛新覚羅溥傑に関する宝物が展示されている。
<宝物館>にある「中山神社」の掛軸。書き手は愛新覚羅溥儀と浩の子・愛新覚羅溥傑。先ほどの<社号標>と<天松門の扁額>は、溥傑さんの筆跡だったんですね。(o^―^o)
南側のエリアに入ってすぐ左手にある<愛新覚羅社>。愛新覚羅浩命とその2人の子(溥傑命、慧生命)を祀る。
<愛新覚羅社>の扁額。段々見慣れてきますね。(o^―^o)
愛新覚羅社の左側にある、愛新覚羅浩の<日中親善>の石碑。
南側エリアの右手、本社社殿の左側にある<祖靈社>。
<祖靈社>の右手にある、本社(中山神社)の<本殿>。
祖靈社の前の位置からだと、本社の社殿は拝殿、幣殿、本殿併せて、縦方向にも非常に大きく堂々としたサイズであることが分かる。
最後に、拝殿前の参道右手にある<社務所>。御朱印はこちら。(^▽^)/
中山忠光卿を祭神とする神社。
宮司さんが素敵でお優しく丁寧で下関(旧市内)神社御朱印ツアーのご案内もされてました。
正面入り口鳥居⛩
参道から楼門へ
由緒
楼門からの境内
境内
かわいい🐔 烏骨鶏? あともう2羽?いました🐔 長州藩はかつて闇留学してたのでこの🐔クックドゥドルドゥって鳴いてたかも😅
飾られた手水舎
拝殿内部は床でなく珍しい玉砂利を敷き詰めたものでした。 昔伊勢神宮に憧れ模したらしいとの事。
さざれ石
御朱印
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