のぎじんじゃ
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乃木神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月26日(火)
参拝:2024年11月吉日
山口県下関市に鎮座する乃木神社。
全国に大日本帝国陸軍の乃木希典大将を祀った乃木神社は数社あり、そのうちの一社となります。
ここ下関長府は乃木大将が嘉永2年(1849年)、長府藩の藩士である乃木希次の三男として江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれたのち、安政5年(1858年)に家族で下向し移り住んだところになります。
境内には復元された旧邸が保存されていて、その中には乃木大将の甥である彫刻家の長谷川栄作さんが製作された少年時代の乃木大将と両親の木彫坐像が置かれていました。
拝殿前には「乃木さんのお言葉」として、「私は沙沙貴神社に度々参詣するが、この神社には私のお祖父さん、その又お祖父さんまだずっと先のお祖父さんが祭ってある・・・(以下省略)」と書かれたパネルがありました。
不勉強な私は、沙沙貴神社って滋賀県だけどなぜ乃木大将と関係が?と思って、帰宅後に調べてみると、宇多源氏佐々木氏の流れを汲んでいたんですね。
沙沙貴神社には数年前に参拝させていただきましたが、ようやくここでつながったような気がします。
<御祭神>
乃木希典大人之命
乃木静子刀自之命
<御由緒>~乃木神社パンフレットより~
乃木将軍殉死後、追慕の念高揚し、乃木神社建立の儀が起こり、広く有志の協力を得て大正八年十二月御祭神ゆかりの台湾の有山の檜を用いて社殿が竣工し、大正九年四月鎮座祭が行われ、名実ともに「乃木神社」が創建し、人々の信仰を集めた。
全国に大日本帝国陸軍の乃木希典大将を祀った乃木神社は数社あり、そのうちの一社となります。
ここ下関長府は乃木大将が嘉永2年(1849年)、長府藩の藩士である乃木希次の三男として江戸麻布の長府毛利藩邸に生まれたのち、安政5年(1858年)に家族で下向し移り住んだところになります。
境内には復元された旧邸が保存されていて、その中には乃木大将の甥である彫刻家の長谷川栄作さんが製作された少年時代の乃木大将と両親の木彫坐像が置かれていました。
拝殿前には「乃木さんのお言葉」として、「私は沙沙貴神社に度々参詣するが、この神社には私のお祖父さん、その又お祖父さんまだずっと先のお祖父さんが祭ってある・・・(以下省略)」と書かれたパネルがありました。
不勉強な私は、沙沙貴神社って滋賀県だけどなぜ乃木大将と関係が?と思って、帰宅後に調べてみると、宇多源氏佐々木氏の流れを汲んでいたんですね。
沙沙貴神社には数年前に参拝させていただきましたが、ようやくここでつながったような気がします。
<御祭神>
乃木希典大人之命
乃木静子刀自之命
<御由緒>~乃木神社パンフレットより~
乃木将軍殉死後、追慕の念高揚し、乃木神社建立の儀が起こり、広く有志の協力を得て大正八年十二月御祭神ゆかりの台湾の有山の檜を用いて社殿が竣工し、大正九年四月鎮座祭が行われ、名実ともに「乃木神社」が創建し、人々の信仰を集めた。
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