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2024年09月07日(土) 15時58分 byひなぎく

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緯度
編集前
37.99554394030467
編集後
37.9954747
経度
編集前
140.01003239591216
編集後
140.0100127
ふりがな
編集後
おきたまよんしょじんじゃ
郵便番号
住所
編集前
東置賜郡川西町大字上小松字社地4702
編集後
東置賜郡川西町上小松4702
ご由緒
編集前
社殿後ろにある大杉は、置賜四所神社の神木で、町内最大の太さである。

神社は和銅年間の創建と伝えられているが、詳細なことは不明である。
 中世時代には、この神社を置賜宮と称し、長井時広は武運長久を祈り社領80石を寄進したと伝えられている。
編集後
和銅年中の創建と伝えているが正確にはわからない。往時「置賜宮」と称していた。長井時広が武運長久を祈願し社領として八十石を寄進し、米沢藩になって元禄4年社殿を再建したことが塩の沢金子家の記録にある。この金子家は代々この四所神社を祀ってきた家であったが、諏訪神社の鎮座本紀なるものを書いた同家29代と称する金子信濃守家良はこの四所神社の由緒を書いている。それによると湖水となった置賜盆地の水を流すために、手力雄命は金子家の先祖塩野長に聞いて大瀬のところの石を除去して水を流したので、この手力雄命すなわち信州戸隠神社の荒魂を塩野神社として祀った。これが置玉四社明神であるというのであるが、塩野長というのが、天照大神の孫にあたる塩土老の子であるとしているのも、系図を作るうえで普通にみられる先祖を誇示しようとする意図がうかがわれるし、その物語もあまりに神話的でまともに歴史的事項として取り上げることはできない。
しかしこのような事とは別に、部落の鎮守として塩の沢の人々が古くから崇敬し、精神生活の拠り所としてきたことは間違いない。
明治4年置賜四所神社と改め村社に列し、同42年宇賀神社を合併した。
ご祭神/ご本尊
編集後
天太力雄命、天思兼命、倉稲魂命、塩土老命
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駐車場
トイレ
参拝所要時間
参拝料
山号
院号
創立
編集後
和銅年間(708-714)
創始者/開山・開基
本殿/本堂の建築様式
巡礼
行事
文化財
ご神体
御朱印の説明
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