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2026年01月19日(月) 23時04分 byInsidious
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なかたまじんじゃ
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第百十代後光明天皇の慶安3(1651)年庚子、成川村中より円形御鏡経5寸重量20目宛3面を納め奉りて、国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊創めて祭祀する。 第百十二代霊元天皇の貞享元甲子(1684)年、成川住民より当氏神を祭らんが為此地を鎮守地とする。 明治44年丸山神社に合祀するも大正2年現在地に分祀する。 江戸時代天保年間(1830―44)に編纂された『紀伊続風土記』によると、村の北端にあり、谷川社地の三方を流れて島の如き地にあり」として「三所権現社」を記しており、「境内森山周六十六間」「祭神或は熊野権現といふ、末社虚空蔵社あり」と記している。 『東牟婁郡誌下巻』第十二編、名所舊蹟誌の条に「成川村 大川の右に有、三社権現 在成川村、南紀神社録云配神は、熊野三所を遷し祭れる也といふ」とある。 同書『東牟婁郡誌下巻』第十編、社寺誌の条に「明治六年調神社」として東牟婁郡内の神社を記しており、成川村は「中玉社」とあり、明治6年には「三所権現社」は「中玉社」と名称を変えていたことがわかる。
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木造銅板葺