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宮原神社ではいただけません
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みやはらじんじゃ

宮原神社
和歌山県 紀伊宮原駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

表参道途中にあり(5台ほど駐車可能)

和歌山県のおすすめ❄️

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おすすめの投稿

神祇伯
神祇伯
2022年01月28日(金)
1464投稿

有田市の町名を冠した神社で、創建は弘仁七年(816年)と式内社ではないですがかなりの古社です。
宮原神社自体も国家鎮護、武運、学問、安産の神様として崇敬されていますが、境内に鎮座している太刀宮という神社もかなり注目されている神社です。
というか私は太刀宮の名前を聞いて訪れました。

宮原神社の鳥居

《一の鳥居》
ここまで住宅街の中を進みます。

宮原神社(和歌山県)

《駐車場》
先程の鳥居をくぐって50mくらい進むとあります。

宮原神社(和歌山県)

《手水舎》
柄杓ありました。ありがたや…

宮原神社の山門

《神門》
こちらの右手に授与所があり、普段から神職さんが常駐しています。

宮原神社の歴史

《由緒書きと大絵馬》
御祭神は八幡大神さまですが、石清水からではなく宇佐神宮からの勧請というところが歴史を感じますね。
また、太刀宮にあやかってか剣友会が発足しているみたいですね。神道を歩むものは武道を極める。

宮原神社の建物その他

《粥占神事結果》
まさかこんなところで粥占がやられているとは…前に見たのは筑紫神社や千栗八幡宮とかで見て、田んぼの豊作具合でしたが、こちらまさかの柑橘系果物の豊作具合…さすがは和歌山👏

宮原神社の本殿

《拝殿》🙏
拝殿は神社自体が山の麓にあるため、背中側の宮原町の街並みを眺めることができます。

宮原神社の末社

《別宮・水主神社》
宮原神社の右側にあり、小さいながらも広間があります。実はここに宮原神社として勧請される前からある神社で、後ろの山にある磐座を祀ります。名前の通り雨を司る神様です。

宮原神社の建物その他

《別宮・太刀宮》
拝殿左手にある神社で、元々は熊野古道の安全を守る道祖神社でした。
ちなみにこちらでは宮原神社と太刀宮の御朱印があります👍

宮原神社の本殿

《拝殿内部》
👁チェックポイント‼️
この地方にあった宮崎城主の三男、宮崎定直という方が大阪からこちらに帰ってくる時当時の道祖神社前で休憩し眠ってしまいました。その夢の中で多くの敵に囲まれますが体が動きません。絶体絶命の最中、持っていた太刀が一人出に抜けて敵を追い回して倒しました。夢から覚めると周りには既に事切れた敵たちと真っ二つに折れた自身の太刀。
不思議に思いながらその太刀を繋げると見事に繋がり、これは神様の御神徳と感じた貞直はこの件を御神体として奉納し、太刀宮と改称しました。
現在も、祈念、またお礼参りのため絵馬の代わりにおもちゃの太刀が拝殿内にたくさん納められています。
この太刀は授与品として用意されています。

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歴史

当宮八幡大神は五十二代嵯峨天皇の御宇、弘仁七年丙申年(816年)の草創で宇佐神宮より勧請されました。「文徳照臨の尊神として武運監護の霊祠なり」と古から云われ、国家鎮護、武運、学問、安産の神様として尊崇祭祀されてきました。その頃の神領は宮山の下、宮の前一帯に四十数町歩を領し、宮殿八宇山囲んで壮厳をきわめたと伝えられています。

その後、平安時代後期の源平の争乱により社殿が荒廃し、1284年(鎌倉時代)に由良の興国寺開山法燈国師が再開眼の供養を執り行っております。また、室町時代には源常久(1441年)、源順家(1516年)、萬徳丸・ 源某ら(1546年)など地方の豪族達が社殿の修理・寄 進をしています。

また、天正十三年(1585年)の豊臣秀吉の紀州攻めによって、縁起巻物や神領証文など多数没収され、再び荒廃しましたが、村人の寄進等により社殿が復興されています。

以来、紀州藩主・徳川頼宣公(1619年)代々崇敬厚く、熊野参詣の折にはたびたび当社に参拝され、道中の安全祈願が執り行われたと伝えられています。
また、1677年には紀州藩家老・若狭守源令綱(藩主徳川頼宣、光貞に仕える)より、三十六歌仙扁額が奉納されています。

明治二十八年に宮原神社と改め、同四十三年に宮原町内の末社・二十社が合祀されています。

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宮原神社の基本情報

住所和歌山県有田市宮原町道字辻貝359
行き方
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名称宮原神社
読み方みやはらじんじゃ
参拝時間

授与所:9:00〜17:00

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

なし

トイレ境内の左手奥にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0737-88-2708
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://miyaharajinja.or.jp/
SNS

詳細情報

ご祭神誉田別尊(応神天皇)
気長足姫尊(神功皇后)
多紀理姫尊
多岐都姫尊
市杵島姫尊
創建時代弘仁七年(816年)
本殿三間社流造
ご由緒

当宮八幡大神は五十二代嵯峨天皇の御宇、弘仁七年丙申年(816年)の草創で宇佐神宮より勧請されました。「文徳照臨の尊神として武運監護の霊祠なり」と古から云われ、国家鎮護、武運、学問、安産の神様として尊崇祭祀されてきました。その頃の神領は宮山の下、宮の前一帯に四十数町歩を領し、宮殿八宇山囲んで壮厳をきわめたと伝えられています。

その後、平安時代後期の源平の争乱により社殿が荒廃し、1284年(鎌倉時代)に由良の興国寺開山法燈国師が再開眼の供養を執り行っております。また、室町時代には源常久(1441年)、源順家(1516年)、萬徳丸・ 源某ら(1546年)など地方の豪族達が社殿の修理・寄 進をしています。

また、天正十三年(1585年)の豊臣秀吉の紀州攻めによって、縁起巻物や神領証文など多数没収され、再び荒廃しましたが、村人の寄進等により社殿が復興されています。

以来、紀州藩主・徳川頼宣公(1619年)代々崇敬厚く、熊野参詣の折にはたびたび当社に参拝され、道中の安全祈願が執り行われたと伝えられています。
また、1677年には紀州藩家老・若狭守源令綱(藩主徳川頼宣、光貞に仕える)より、三十六歌仙扁額が奉納されています。

明治二十八年に宮原神社と改め、同四十三年に宮原町内の末社・二十社が合祀されています。

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