ほうじょうづはちまんぐう
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放生津八幡宮ではいただけません
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放生津八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月25日(月)
参拝:2021年9月吉日
郷土出身の偉大な詩聖、牧野茂(鉄篴(てつてき))が昭和14年に当宮に奉納した漢詩文に「東は太刀山の連峰を仰ぎ、北は日本海の蒼波に枕(のぞ)み、右に海龍湖あり、左に射水川あり・・・」と歌った。その景勝地が当宮周囲の風景である。万葉の昔、越中国守・大伴家持が「あゆの風 いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の 釣りする小舟 漕ぎ隠る見ゆ」と万葉集に歌ったように、奈呉の浦に面している。また、「湊風(みなとかぜ) 寒く吹くらし 奈呉の江に 妻呼び交わし 田鶴(たづ)さわに鳴く」と歌ったように越の潟(こしのかた)に隣接していた。奈良時代から海人の集落があり、漁業が行われていたことが万葉集から窺える。当宮は、その奈呉の地に、越中国守大伴家持が、宇佐八幡神を勧請し、奈呉八幡宮として鎮座された。この地域は、当宮の放生会に由来し、放生津と呼ばれるようになった。鎌倉時代の古文書に放生津(ほうじようづ)の名が見られ、鎌倉時代には地名として定着していたことが分かる。鎌倉時代に、放生津に守護所が置かれ、越中国の武家政治の中心地となった。鎌倉期以来、放生津は港町として栄え、近世に至っては、北前船の交易でも栄え、漁業とともに繁栄した。
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