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だいぶつじ|浄土宗鳳徳山

大仏寺の御由緒・歴史
富山県 坂下町駅

ご本尊阿弥陀如来
阿弥陀三尊蔵
創建時代鎌倉時代
開山・開基源義勝
ご由緒

13世紀頃、源義勝が承久の乱を避けて仏道に入り、越中射水の里で二上山麓(高岡市の北西約7Kmにある『二上山{標高273m}』)に於いて大願をおこし、仏師を京都から招いて高さ約5mの木造大仏を造立し、その腹中に護持の金銅仏(御丈け8寸)を納めて大仏殿を創建したのが高岡大仏の起源であると伝えられている。
1609年 高岡の開祖である加賀藩2代藩主前田利長公が、「高岡城」築城の折に大仏を現在地(高岡市大手町)に移し崇めたが、約150年の時を経て荒廃する御姿を憂いた「坂下町極楽寺」の第15世等誉上人が、1745年(延享2年)9月に、3丈2尺(9.7メートル)の金色木造大仏を再建し、大いに大仏尊崇を説いた。
これより77年目の1821年(文政4年)6月24日の夜、高岡の町で大火が発生。大仏は類焼するも、腹中の金銅仏のみ焼失を免れた。

1841年(天保12年)大火から20年の歳月を経て、極楽寺第26世謙誉上人が発願し、数名の町人とともに大仏再建に奔走。
同年、仏師の巨匠 山本与三兵衛、精進潔斎によって、木造1丈6尺(4.8メートル)の座像が刻まれた。
光背の舟御光の頂上には三重の宝塔を備え、この中に火中から出現した金銅仏を安置し、光中左右に十二光仏を列し、さらに全面に千体仏を配し見事に再興した。
1900年(明治33年)1月に発行された「高岡繁昌双六」(北陸中央新聞付録)には二代目大仏がお堂とともに描かれており、その姿を垣間みることが出来る。
その後、1900年(明治33年)6月27日に、再び高岡で大火が発生。またもや類焼し一切が焼失した。

信徒世話頭であった松木宗左衛門が、極楽寺第31世良禅上人と提携して大仏再興を発願。
1933年(昭和8年)幾多の困難を克服し、大火類焼以来、実に33年の時を経て青銅製「三代目高岡大仏」の開眼式が挙行された。

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