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あさいじんじゃ

淺井神社の御由緒・歴史
富山県 西高岡駅

ご祭神罔象女神
ご神体不詳
創建時代養老元年(717年)
創始者不詳
ご由緒

養老元年(717年)創建と伝えられる、延喜式内(えんぎしきない)の古社である。小矢部川の氾濫(はんらん)を防ぎ、灌漑(かんがい)農耕(のうこう)の守護神として石堤を築造し、社殿を造営奉斉したので、川端の宮とも称した。越中国礪波郡にあった東大寺の所領地を描いた『東大寺越中国官地施入田地図』に「浅井之神の神領地一段」とある。
興国3年(1342年)、越中国木舟城主・石黒重之は、大原真守の太刀を献じ、吉野朝復興の祈願をした。宗良親王は後院荘(五位荘・ごいんのしょう)に御滞留(たいりゅう)の折に御参拝せられた。
明和元年(1764年)に御神体は一時、月野谷(つきのや)村・見多気神社に借座(しゃくざ)あらせられたが、文久三年境内末社の神明宮に帰座(きざ)。後に本殿へ帰還せられた。
安永6年(1773年)6月以降、数次にわたり金沢藩命により祈雨・祈晴・五穀豊穣・百姓安堵の祭典を執行した。
明治41年(1908年)12月より五院荘五十三ケ村総鎮守で春秋の祭典には初穂米を献上された。
古神事としては防火防難延命寿福を祈願する 「ひさご祭」、風雨寒暑を卜占する 「おはれみ祭」、報賽を主とする 「千石百貫祭」などがあった。

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