ぜんぎょうじ|浄土真宗本願寺派|白雪山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方善巧寺のお参りの記録一覧

〰️浄土真宗北陸参拝の旅〰️⑦白雪山善巧寺さま編
昨年作成された、「愚禿像」(ぐとくぞう)に参拝したく、また愚禿像をモチーフにした消しゴムハンコの参拝記念をいただきたく伺いました。
今年から、カフェ愚禿として基本木、金、土曜日の午後から営業しています。

極楽寺麻田住職さん作成の参拝記念を、浄土真宗用にしている御朱印帳に直書きで頂きました。

黒部市宇奈月にある、浄土真宗本願寺派白雪山善巧寺さま寺名標になります。

法語等の掲示板になります。

昭和23年に新調された梵鐘は、彫刻家・佐々木大樹の彫り物が施されている。
鐘楼堂は、平成2年に建立されインドにある祇園精舎の鐘と同型。

善巧寺の門を入って左側にある第11世明教院僧鎔の石碑。

善巧寺さま門柱と参道になります。



本堂になります。

本堂内の様子です。

阿弥陀如来さまになります。

右脇に正面を向いた、親鸞聖人絵像えになります。

左脇に蓮如上人さまの絵像になります。

愚禿像を作られた清河北斗氏のお母様の清河恵美さん制作になります。
現在の本堂は、明治14年に再建された。宇奈月町音沢の山奥から降ろされ黒部川を流して運ばれた欅が使用されています。
平成24年に親鸞聖人の750年大遠忌を節目に修復事業が行われ、その一環として内陣天井画が新調されました。
日本画の伝統的な技術に大胆な発想が融合された唯一無二の天井画になってます。
中央の深いブルーを基調に、馴染み深い立山連峰が360度連なっています。
その周りには、極楽浄土の共命鳥と鳳凰がたたずみ、富山に咲く花木28枚が配置されています。壮大なイメージに、お寺らしさと富山ならではの要素が見事なバランスで融合され、100年後の子や孫たちの心にもきっと響くことでしょう。

左右天井には、桔梗の紋。


内陣手前に掲げられた扁額「空華」。
空華とは
善巧寺11代明教院僧鎔(みょうきょういんそうよう)が開いた学塾を「空華蘆(くうげろ)」といい、その流れを汲む教えを「空華学派」といいます。善巧寺では毎年、僧鎔の祥月命日(11月5日)に合わせて法要「空華忌」をつとめています。
明教院僧鎔(みょうきょういんそうよう)
1723年、水橋の農家・渡辺家に生まれ、11歳の時に上市の明光寺の霊潭(れいたん)師に見込まれて養子となる。名を与三吉(よそきち)といった。21歳の時に善巧寺へ入寺が決まり、京都では同郷の先輩、僧樸(そうぼく)師の門人となり僧鎔と名乗った。学林(のちの龍谷大学)で行った4度の講義を通じて評価が一段と高まった。
35歳(1758年)、善巧寺に学塾「空華蘆(くうげろ)」を創設し、多くの学僧を育てた。富山の各地に宗学を志す気風を生み出し、寺院の子弟たちは競って研鑽の道へと歩み始めたのである。空華盧について「新川郡学者略伝」には、「今、世にある諸国の末弟およそ3,000人」とある。僧鎔の流れを汲む学派を空華派と呼び、同学派の教えは明治初年まで本願寺の宗学の主流的な役割を果たす。代表的な弟子に、柔遠(にゅうおん)、道隠(どうおん)らがいる。
61歳(1783年)で入寂、明教院(みょうきょういん)と贈り名されている。僧鎔滅後もその徳を慕い、入門を希望する者が後を絶たなかった。



善巧寺門徒会館になります。

会館入って正面に「愚禿像」(親鸞聖人像)があります。

釈迦十大弟子相関図







会館内では、釈迦十大弟子と銅版画展開催中でした。


カフェ愚禿

カフェ愚禿

天井画の写真集求めました。


寺報善巧頂きました。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ









35
0