曹洞宗
長慶寺のお参りの記録一覧
長慶寺(ちょうけいじ)は、その昔、死んだら越中立山地獄に堕ちると信じられていて、その地獄に堕ちた亡者を救うべく、「桜谷の大仏」といわれた地蔵菩薩を本尊として建てられたそうです。ですが、1870年(明治3年)頃、廃仏毀釈の折に富山藩の命により失われ、現在は仏頭のみが鎮座する状態となっている。
山号 法羅陀山(ほらださん)
本尊 釈迦如来
#長慶寺
境内に五百羅漢の石仏を祀る。
#五百羅漢
釈迦入滅後に高僧らが集まって経典の編さんなどをした事業を結集といい、計4度行われた。この中で1回目と4回目の参加者は500人だったので、彼らを五百羅漢という。
第1回は十大弟子のうち、少なくともマカカショウ、アナンダ、ウバリが参加しているので、入滅の直後、すなわち紀元前4世紀。第4回はカニシカ王が招集したと伝わるので、紀元2世紀ごろだ。よって両方に出た者は決していない。
#摩訶迦葉 #迦葉尊者
梵語でマハーカーシヤパ。十大弟子の1尊で、禁欲的な生き様から頭陀(ずだ)第一と称する。釈迦入滅後は教団を統率し、第一回仏典結集を主宰した。
カショウ尊者とアナン尊者が釈迦如来の脇侍を務めることも多い。
#阿難陀 #阿難尊者
梵語でアーナンダ。お釈迦さまの従弟。十大弟子の1尊で、釈尊に弟子入りしてから入滅までの25年間、常に彼のそばで説法を聞いたため、多聞第一と称する。教えを全て暗記し、第一回仏典結集でそれを口述した。
#優波離
梵語でウパーリ。十大弟子の1尊で、戒律に関しては誰よりも詳しく、持律第一と称する。第一回仏典結集でそれを口述した。
十大弟子のうち残る7人が第一回結集に出席したか否か、言及しているのを見たことはない。ただ少なくとも、シャリホツとモクケンレンの2尊は釈迦入滅よりも前に死んでいるので、出ようがない。
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