ほうきいなりじんじゃ
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楽しみ方伯耆稲荷神社のお参りの記録一覧

鳥取県を代表するお稲荷さんです。平安末期に村民たちの前に白狐が現れ「近々大飢饉が起こる」と予言して消えていきました。村民たちは神の使いであると信じて備えたところ実際に大飢饉が起き、付近は大損害に陥った中この地域は免れたという伝承があります。

《ニの鳥居》
ここまでの道中に大きな一の鳥居があります。

《掲示板》

《末社①》

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

《風鈴》
ちょっと時期に早いですが、いい音がしてます。

《拝殿》
近代的な引き戸な建物です。

《拝殿内部》🙏
社紋は主に桓武平氏などが使っていたことで有名な「丸に揚羽蝶紋」です。

《鈴の緒》
上部の根本についているのではなく、先端の方に無数の鈴がついています。

《授与所》
無人の授与所となっています。御朱印いただきたかったですが残念ながらお留守。
駐車場の奥の畑で作業されていたのが宮司さんだったのかな…?

《植物》
なんか葉っぱを見るとフキっぽいですよね。



《末社群》
末社は全て朱塗りの鳥居が設けられていますがたまによく見るお稲荷さんの中に末社のお稲荷さんがいるタイプではなく、天満宮・弁天社・蛭子社・淡島神社などだそうです。

《本殿》
👁チェックポイント‼️
当社で語られる伝承として上述の飢饉を知らせるお告げの他に、後醍醐天皇さまの参拝があります。
後醍醐天皇さまは討幕計画が密告(元弘の乱)されたあと鎌倉幕府によって隠岐の島に配流となりますが、伯耆守の名和氏を頼って隠岐の島を脱出、船上山で挙兵したとされています。京都凱旋までの道中で当社に立ち寄り休憩し、戦勝と朝廷復興を祈願されたと言われています。
後醍醐天皇さまは吉野へ逃れる際にも伏見稲荷大社へ夜逃げ途中に立ち寄り、京都-吉野の道中を灯火によって案内され無事辿り着けたと言われていますし、この頃からお世話になっていたんですね。

《社務所》
玄関には「全国稲荷会鳥取県本部」と掲げられています。これが鳥取県下最大のお稲荷さんと言われる所以です。
この「全国稲荷会」は全国の有力な稲荷神社で結成された会合で、伏見・祐徳・高橋・笠間などの大きなお稲荷さんが名を連ねます。
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