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かもじんじゃてんまんぐう

賀茂神社天満宮
鳥取県 米子駅

御朱印について御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

10台程度

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神祇伯
神祇伯
2025年06月17日(火) 18時02分21秒
1690投稿

米子市街の中心にある神社です。古くからこの地は京都の上賀茂神社・下鴨神社の神領地とされ、「賀茂の浦」と呼ばれておりその総鎮守として古くから崇敬されていました。
別雷神さまをとともに、のちに雷神として語られるようになった菅原道真公を合祀しており、雷神さんのWパンチという珍しい神社でもあります。

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《鳥居》

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《神門》

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《おみくじ》
けっこうな種類がありますね。

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
賀茂系神社は主に賀茂神社の神領地に分祠されていることが多く、本州四国の広範囲に分社が多くあります。現在でもその神社間の繋がりが強く、上賀茂・下鴨神社が地方の賀茂神社へ行くこともあったりその逆もあったりするそうです。お話してくれた世話人さんも宮司さんについて京都に行くことがよくあるとのこと。

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《稲荷神社》
いつもお世話になっております!!

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《本殿》
隣が出雲国なので同様に妻入りの建築様式です。

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《末社》

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《神輿庫》

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《授与所》
有人のため御朱印や守札を受けることができます。受付にお話好きな男性がおりけっこう長話に花が咲いてしまいました。面白い宮司さんだなぁと思ったらまさかの世話人さんという…こういう人が氏子さんにいたら神社は安泰だなぁと感じましたね。

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《社紋》
天満宮で用いられる梅鉢紋と賀茂系神社が代表して使う葵紋を組み合わせた素敵な社紋です。デザイン力最高すぎる…

賀茂神社天満宮(鳥取県)

《授与品》
御朱印帳と絵馬をいただいてきました。雷神さんを可愛くデフォルメしたものです。

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歴史

創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
 当神社は米子(旧米子町)最古の社と言われ、歴代米子城主より社殿の建立、修復、社領金子の寄進、祈願所等、米子城鎮護の社として手厚い保護を受け、米子鎮守の神として厚く尊崇される。鎮座地より南西に城山、北西に米子港、弧を描くように町が広がっており、戦国時代の頃まで神社周辺は「賀茂の浦」と呼ばれていた。その頃、野田翁次郎という者が老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ88歳で子供に恵まれた。以来、稀代の霊験と評判になり、「八十八に因んで米子」と言う地名が誕生したと云う伝説がある。また、境内にある井戸は極古井であり、米子の起源に関係する口碑も残っている。昔、「よなご」と云う地名が無く賀茂の浦であった頃、此の地に住む漁民が飲料水を供するために掘ったもので、その頃は賀茂神社境内の西辺りまで湾で海岸の漁民が一部落をつくり暮していた。古は「米をとぐ」と云う事を「よなぐ」と云ったので「よなぐ井」そして「よなご井」と云った。其の後、飯山に吉川元春が砦を築き、其の麓の部落である此の地を「米子」と云う文字を当てたので、「よなご井」から米子の地名が誕生したのである。この井戸は米子三名水の一つ「宮水」と呼ばれ、上水道が普及するまでは町民に親しまれ、飲料水として売り歩かれていたものである。
 また、城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和36年稲荷神社天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社 天満宮」と改称した。

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賀茂神社天満宮の基本情報

住所

鳥取県米子市加茂町2-212

行き方

米子駅下車 徒歩10分

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名称

賀茂神社天満宮

読み方

かもじんじゃてんまんぐう

通称

賀茂さん

参拝時間

受付/9:00~16:00

参拝料

なし

トイレ社務所の隣
御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0859-22-5780
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスfront@kamoten.org
ホームページhttp://www.kamoten.org/
お守り

あり

SNS

詳細情報

ご祭神,《主祭神》
 別雷命
 菅原道真
《合祀神》
 品陀和気命
 事代主神
 素盞嗚命
 天照大御神
 大穴牟遅命
 少彦名命
創建時代

不詳

ご由緒

創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
 当神社は米子(旧米子町)最古の社と言われ、歴代米子城主より社殿の建立、修復、社領金子の寄進、祈願所等、米子城鎮護の社として手厚い保護を受け、米子鎮守の神として厚く尊崇される。鎮座地より南西に城山、北西に米子港、弧を描くように町が広がっており、戦国時代の頃まで神社周辺は「賀茂の浦」と呼ばれていた。その頃、野田翁次郎という者が老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ88歳で子供に恵まれた。以来、稀代の霊験と評判になり、「八十八に因んで米子」と言う地名が誕生したと云う伝説がある。また、境内にある井戸は極古井であり、米子の起源に関係する口碑も残っている。昔、「よなご」と云う地名が無く賀茂の浦であった頃、此の地に住む漁民が飲料水を供するために掘ったもので、その頃は賀茂神社境内の西辺りまで湾で海岸の漁民が一部落をつくり暮していた。古は「米をとぐ」と云う事を「よなぐ」と云ったので「よなぐ井」そして「よなご井」と云った。其の後、飯山に吉川元春が砦を築き、其の麓の部落である此の地を「米子」と云う文字を当てたので、「よなご井」から米子の地名が誕生したのである。この井戸は米子三名水の一つ「宮水」と呼ばれ、上水道が普及するまでは町民に親しまれ、飲料水として売り歩かれていたものである。
 また、城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和36年稲荷神社天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社 天満宮」と改称した。

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