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賀茂神社天満宮ではいただけません
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かもじんじゃてんまんぐう

賀茂神社天満宮
鳥取県 米子駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

10台程度

おすすめの投稿

シントモコ
シントモコ
2024年07月21日(日)
146投稿

午後3時。
山陰・米子といえど
大通りは凄まじい暑さです😰

米子来訪は二度めですが
観光らしい観光はしたことがなく、
せっかくの機会だからと
米子城跡近くの
賀茂神社天満宮に詣でることにしました。

バスの運転手さんに
「神社行きのバスはありますか?」と尋ねるも
「ない」と無下に断られ、意を決し
炎天下歩き出した私。
10分後、神社に到着した時には
目はくらみ、息も絶え絶えの瀕死状態。

さすがにこの暑さの中お宮参りする物好き、
イヤもとい、信仰深い参拝客はおらず、
さらには神職さんまで避暑中だったようで
授与所のブザーを鳴らしても誰も出て来ず、
結局御朱印は授かれませんでした😖
皆さま。
酷暑の夏、参拝の時間と気温には
大いに気をつけましょう😞

賀茂神社天満宮(鳥取県)
賀茂神社天満宮(鳥取県)
賀茂神社天満宮(鳥取県)
賀茂神社天満宮(鳥取県)

米子三名水の一つ「宮水」。
手水舎の水が出なかったため、畏れ多くも宮水で手水を使いました。

賀茂神社天満宮(鳥取県)

遥拝所。「東方に伊勢神宮、賀茂別雷神社等を遥拝して下をくぐり、次に西方を向いて賀茂三笠山…を遥拝し云々」と説明がありますが、本当にわかりづらい!(スミマセン)。図を加えるなどして、素人にも分かるように書いて頂きたいものです😞

賀茂神社天満宮(鳥取県)

オマケ:精進落としは鳥取の海の幸「猛者えび・白イカ・たこ」の刺身盛り合わせ。生ビールが枯れ果てた身体にグーンと染み渡りました😋

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ゆみ
ゆみ
2024年05月04日(土)
247投稿

お参りしました🙏

賀茂神社天満宮(鳥取県)

月限定色の御朱印もいただきました。新緑😊

賀茂神社天満宮(鳥取県)
賀茂神社天満宮(鳥取県)

くぐってみました🙏

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歴史

創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
 当神社は米子(旧米子町)最古の社と言われ、歴代米子城主より社殿の建立、修復、社領金子の寄進、祈願所等、米子城鎮護の社として手厚い保護を受け、米子鎮守の神として厚く尊崇される。鎮座地より南西に城山、北西に米子港、弧を描くように町が広がっており、戦国時代の頃まで神社周辺は「賀茂の浦」と呼ばれていた。その頃、野田翁次郎という者が老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ88歳で子供に恵まれた。以来、稀代の霊験と評判になり、「八十八に因んで米子」と言う地名が誕生したと云う伝説がある。また、境内にある井戸は極古井であり、米子の起源に関係する口碑も残っている。昔、「よなご」と云う地名が無く賀茂の浦であった頃、此の地に住む漁民が飲料水を供するために掘ったもので、その頃は賀茂神社境内の西辺りまで湾で海岸の漁民が一部落をつくり暮していた。古は「米をとぐ」と云う事を「よなぐ」と云ったので「よなぐ井」そして「よなご井」と云った。其の後、飯山に吉川元春が砦を築き、其の麓の部落である此の地を「米子」と云う文字を当てたので、「よなご井」から米子の地名が誕生したのである。この井戸は米子三名水の一つ「宮水」と呼ばれ、上水道が普及するまでは町民に親しまれ、飲料水として売り歩かれていたものである。
 また、城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和36年稲荷神社天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社 天満宮」と改称した。

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賀茂神社天満宮の基本情報

住所鳥取県米子市加茂町2-212
行き方

米子駅下車 徒歩10分

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名称賀茂神社天満宮
読み方かもじんじゃてんまんぐう
通称賀茂さん
参拝時間

受付/9:00~16:00

参拝料

なし

トイレ社務所の隣
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0859-22-5780
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスfront@kamoten.org
ホームページhttp://www.kamoten.org/
お守りあり
SNS

詳細情報

ご祭神《合》品陀和気命,事代主神,素盞嗚命,天照大御神,大穴牟遅命,少彦名命,《主》別雷命,菅原道真
創建時代不詳
ご由緒

創立の年代は不詳であるが、最も古い棟札に「慶長三年霜月二十五日米子総産土賀茂皇大明神再建」と記されており、それ以前に京都上賀茂神社より勧請し創建された事は明らかである。神社周辺の発掘調査によると平安時代には既に人家があり、室町時代には相当の集落が存在したと推測されるので、神社創建もこの時代にさかのぼるのではないかと考えられる。
 当神社は米子(旧米子町)最古の社と言われ、歴代米子城主より社殿の建立、修復、社領金子の寄進、祈願所等、米子城鎮護の社として手厚い保護を受け、米子鎮守の神として厚く尊崇される。鎮座地より南西に城山、北西に米子港、弧を描くように町が広がっており、戦国時代の頃まで神社周辺は「賀茂の浦」と呼ばれていた。その頃、野田翁次郎という者が老年になっても子供が無く、畏敬の念を込め祈願したところ88歳で子供に恵まれた。以来、稀代の霊験と評判になり、「八十八に因んで米子」と言う地名が誕生したと云う伝説がある。また、境内にある井戸は極古井であり、米子の起源に関係する口碑も残っている。昔、「よなご」と云う地名が無く賀茂の浦であった頃、此の地に住む漁民が飲料水を供するために掘ったもので、その頃は賀茂神社境内の西辺りまで湾で海岸の漁民が一部落をつくり暮していた。古は「米をとぐ」と云う事を「よなぐ」と云ったので「よなぐ井」そして「よなご井」と云った。其の後、飯山に吉川元春が砦を築き、其の麓の部落である此の地を「米子」と云う文字を当てたので、「よなご井」から米子の地名が誕生したのである。この井戸は米子三名水の一つ「宮水」と呼ばれ、上水道が普及するまでは町民に親しまれ、飲料水として売り歩かれていたものである。
 また、城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和36年稲荷神社天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社 天満宮」と改称した。

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