ひらかわてんまんぐう
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平河天満宮ではいただけません
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平河天満宮のお参りの記録(3回目)
投稿日:2024年08月11日(日)
参拝:2024年8月吉日
令和6年8月11日『友引』『大明日』『神吉日』『母倉日』『一粒万倍日』✨✨✨✨✨
今日は『終戦の日』にお詣り出来ないので、前倒しで赤坂方面から『靖國神社』を目指し、暑さに耐えウォーキング参拝をしてきました🚶💦💦💦
参拝⑤ 平河天満宮
菅原道真を主神に八幡宮と東照宮(徳川家康)を相殿の神として祭っています。文明10年(1478)に太田道灌が江戸城内の現在の梅林坂上に建立したのが始まりと言われ、徳川家康入城後、本丸修築のためこれを平川門外に移り、慶長12年(1607)現在の地に遷座しました。
御由緒
江戸平河城城主太田道灌公が、ある日菅原道真公の夢を見ました。そして、その翌朝菅原道真公自筆の画像を贈られたこともあり、その夢を霊夢であると思い、文明十年(一四七八年)に城内の北へ自ら施主となり、天満宮を建立しました。(「梅花無尽蔵」による)
その後も周囲に多くの梅の木を植え、やがてここを梅林坂と呼ぶようになり、今も皇居平川門内にその名が残っています。
徳川家康公の江戸平河城入城後間もなく、築城のため本社を平川門外に奉遷しましたが、慶長十二年(一六○七年)二代将軍秀忠公に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて、地名を本社にちなみ平河町と名付けられました。
徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家、井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていました。
また学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、名高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられています。(公式HPより)
今日は『終戦の日』にお詣り出来ないので、前倒しで赤坂方面から『靖國神社』を目指し、暑さに耐えウォーキング参拝をしてきました🚶💦💦💦
参拝⑤ 平河天満宮
菅原道真を主神に八幡宮と東照宮(徳川家康)を相殿の神として祭っています。文明10年(1478)に太田道灌が江戸城内の現在の梅林坂上に建立したのが始まりと言われ、徳川家康入城後、本丸修築のためこれを平川門外に移り、慶長12年(1607)現在の地に遷座しました。
御由緒
江戸平河城城主太田道灌公が、ある日菅原道真公の夢を見ました。そして、その翌朝菅原道真公自筆の画像を贈られたこともあり、その夢を霊夢であると思い、文明十年(一四七八年)に城内の北へ自ら施主となり、天満宮を建立しました。(「梅花無尽蔵」による)
その後も周囲に多くの梅の木を植え、やがてここを梅林坂と呼ぶようになり、今も皇居平川門内にその名が残っています。
徳川家康公の江戸平河城入城後間もなく、築城のため本社を平川門外に奉遷しましたが、慶長十二年(一六○七年)二代将軍秀忠公に依り、貝塚(現在地)に奉遷されて、地名を本社にちなみ平河町と名付けられました。
徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家、井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていました。
また学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰し、名高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられています。(公式HPより)
手水舎
稲荷神社
大鳥神社(おとりさん)
御祭神 日本武尊命(やまとたけるのみこと)
塩神社(生活の神)
御祭神 豊斟渟神(とよくむぬのかみ)
浅間神社(せんげんさん)
御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
御祭神 日本武尊命(やまとたけるのみこと)
塩神社(生活の神)
御祭神 豊斟渟神(とよくむぬのかみ)
浅間神社(せんげんさん)
御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
すてき
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