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あなはちまんぐう

穴八幡宮の編集履歴
2024年11月03日(日)
東京都 早稲田(メトロ)駅

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ステイ
2024年11月03日 12時30分

ご由緒

康平五年(1062)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊命の先蹤にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧進し、永く東北鎮護の社として祀られました。
 寛永十八年(1641)社守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
 慶安元年(1648)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安二年(1649)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄十六年(1703)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
 安政元年(1854)青山火事のために類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧事の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志等により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成十年の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。

編集前:康平五年(1062)奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊命の先蹤にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧進し、永く東北鎮護の社として祀られました。
 寛永十八年(1641)社守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
 慶安元年(1648)社殿再興の折りに幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安二年(1649)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われましたが、特に元禄十六年(1703)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
 安政元年(1854)青山火事のために類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧事の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志等により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成十年の随神門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内地の整備に着手し今日に至っています。

見所

<h3>商売繁盛・金運上昇には『一陽来復御守』</h3>
冬至から節分までの期間限定で授与される『一陽来復御守』。その年の恵方に向けて冬至、大晦日、節分の何れかの深夜0時にお札を貼ると幸運がやってくると言われ、冬至の日には朝早くからお札を求めて多くの人が集まります。一陽来復御守の頒布期間(冬至から節分)は、御朱印は授与されません。

<h3>大迫力の流鏑馬神事は必見</h3>
八代将軍吉宗の時代に世継ぎの病気平癒祈願のため、流鏑馬を穴八幡宮でおこなったのが始まりとされる、穴八幡宮神事「流鏑馬」。現在、新宿区の無形民俗文化財に指定され、毎年体育の日の午後、都立戸山公園にて開催されています。高田馬場の名前の由来のひとつでもあります。

編集前:<h3>商売繁盛・金運上昇には『一陽来復御守』</h3>
冬至から節分までの期間限定で授与される『一陽来復御守』。その年の恵方に向けて冬至、大晦日、節分の何れかの深夜0時にお札を貼ると幸運がやってくると言われ、冬至の日には朝早くからお札を求めて多くの人が集まります。一陽来復御守の頒布期間(冬至から節分)は、御朱印は授与されません。

<h3>大迫力の流鏑馬神事は必見</h3>
八代将軍吉宗の時代に世継ぎの病気平癒祈願のため、流鏑馬を穴八幡宮でおこなったのが始まりとされる、穴八幡宮神事「流鏑馬」。現在、新宿区の無形民俗文化財に指定され、毎年体育の日の午後、都立戸山公園にて開催されています。高田馬場の名前の由来のひとつでもあります。

アクセス

東京メトロ東西線早稲田駅徒歩2分
都電荒川線早稲田駅徒歩10分
東京メトロ副都心線西早稲田駅徒歩12分

編集前:東京メトロ東西線早稲田駅徒歩2分
都電荒川線早稲田駅徒歩10分
東京メトロ副都心線西早稲田駅徒歩12分

駐車場

なし

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