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穴八幡宮ではいただけません
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穴八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月17日(水)
参拝:2021年2月吉日
1062(康平5)年、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊の先蹤にならい、当地に兜と太刀を納め氏神八幡宮を勧請、東北鎮護の社として創建された。
1641(寛永5)年、宮守の庵を造るため山裾を切り開いたところ、神穴が出現し中から金銅の御神像が現れたため、この時期から穴八幡宮と称されるようになる。
同年この地に居住していた江戸幕府の祐筆(事務官僚)・大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営した。
この頃、神木の松から瑞光を放つなど諸々奇瑞のあったことが三代将軍家光の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられる。
1648(慶安元)年社殿再興の折、幕府から氏子として牛込郷36ヶ町が定められ、翌年の1649(慶安2)年、社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社となった。
その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われ、特に1703(元禄16)年の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めたという。
1854(安政元)年青山火事により類焼し、幕府より造営料などが奉納されたものの、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えた。
その後、昭和初年に旧時の盛観に復元したが、空襲により社殿は再び焼失した。
しかし戦後はいち早く仮社殿により再興、1989(平成元)年から慶安・元禄の江戸権現造りの設計図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、1998(平成10)年の随神門竣工をもって往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、境内地の整備に着手し今日に至る。
1641(寛永5)年、宮守の庵を造るため山裾を切り開いたところ、神穴が出現し中から金銅の御神像が現れたため、この時期から穴八幡宮と称されるようになる。
同年この地に居住していた江戸幕府の祐筆(事務官僚)・大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営した。
この頃、神木の松から瑞光を放つなど諸々奇瑞のあったことが三代将軍家光の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられる。
1648(慶安元)年社殿再興の折、幕府から氏子として牛込郷36ヶ町が定められ、翌年の1649(慶安2)年、社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社となった。
その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行われ、特に1703(元禄16)年の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めたという。
1854(安政元)年青山火事により類焼し、幕府より造営料などが奉納されたものの、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えた。
その後、昭和初年に旧時の盛観に復元したが、空襲により社殿は再び焼失した。
しかし戦後はいち早く仮社殿により再興、1989(平成元)年から慶安・元禄の江戸権現造りの設計図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、1998(平成10)年の随神門竣工をもって往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、境内地の整備に着手し今日に至る。
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