せいかんじ
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楽しみ方誓閑寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年02月01日(土) 12時17分13秒
参拝:2025年2月吉日
誓閑寺(せいかんじ)は、東京都新宿区喜久井町にある浄土宗の寺院で、亀鶴山易行院と号します。1630年(寛永7年)、誓閑和尚によって創建され、1666年(寛文6年)に現在の地へ移転しました。本尊は阿弥陀如来像です。
● 誓閑寺の歴史
誓閑寺の起源は、1630年(寛永7年)に誓閑和尚が開山した易行院にさかのぼります。明暦の大火後、宗参寺領内の庚申塚に一時移転し、1666年(寛文6年)に現在の喜久井町へ移りました。
● 「牛込區史」に記された誓閑寺の歴史
「牛込區史」によると、誓閑寺の境内には直径二尺六寸の大鐘があり、元和2年(1616年)に藤原兼長によって鋳造されました。鐘銘に「荏原郡」と記されており、当時の地名表記についての貴重な資料となっています。
● 「東京名所図会」に記された誓閑寺
「東京名所図会」によれば、誓閑寺は赤門に黒額を掲げ、「亀鶴山」と赤書されています。本堂は二重構造で、下部を赤く塗り、黒地に白文字で「誓閑寺」と記された扁額が掲げられています。また、境内には「除厄五智如来」の石標や鐘楼があり、五智如来像は開山である誓閑和尚の作と伝えられています。
● 誓閑寺の文化財
誓閑寺には新宿区指定文化財が2つあります。
誓閑寺の梵鐘
1682年(天和2年)に近隣住民の寄進により鋳造された新宿区最古の梵鐘。
総高138cm、口径79cm、周囲236cm。
「武州荏原郡」の記載があり、当時の地名表記の変遷を示す貴重な史料。
鐘楼は昭和49年(1974年)に千葉県木更津市の選擇寺から移築。
銅造地蔵菩薩半跏像
1818年(文政元年)に誓閑寺第十世住職・進誉求道の時代に鋳造。
神田の鋳物師・太田駿河守藤原政義の作。
高さ136cm、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏像。
台座には「百万遍講中」と刻まれ、尾張徳川家の奥女中との関連がうかがえる。
● 尾張徳川家との関係
誓閑寺は尾張徳川家の下屋敷に隣接していたことから、奥女中の墓が多く存在しました。現在は「大奥老女・川瀬の墓」だけが残されています。
● 夏目漱石と誓閑寺
夏目漱石は、随筆『硝子戸の中』の中で、誓閑寺の鐘の音について触れています。区内最古の梵鐘には「荏原郡」と刻まれており、1682年(天和2年)頃、この地がまだ旧郡名「荏原郡」と呼ばれていたことを示す証拠となっています。
● 誓閑寺の謎
誓閑寺の梵鐘には「武州荏原郡」と記されていますが、1682年当時、すでにこの地域は豊島郡に属していたはずです。このため、室町時代に荏原郡に属していた名残ではないかという説があるものの、郡境がどこにあったのかは不明です。同様の謎を持つ庚申塔が近くの来迎寺にも残されています。
● 誓閑寺の歴史
誓閑寺の起源は、1630年(寛永7年)に誓閑和尚が開山した易行院にさかのぼります。明暦の大火後、宗参寺領内の庚申塚に一時移転し、1666年(寛文6年)に現在の喜久井町へ移りました。
● 「牛込區史」に記された誓閑寺の歴史
「牛込區史」によると、誓閑寺の境内には直径二尺六寸の大鐘があり、元和2年(1616年)に藤原兼長によって鋳造されました。鐘銘に「荏原郡」と記されており、当時の地名表記についての貴重な資料となっています。
● 「東京名所図会」に記された誓閑寺
「東京名所図会」によれば、誓閑寺は赤門に黒額を掲げ、「亀鶴山」と赤書されています。本堂は二重構造で、下部を赤く塗り、黒地に白文字で「誓閑寺」と記された扁額が掲げられています。また、境内には「除厄五智如来」の石標や鐘楼があり、五智如来像は開山である誓閑和尚の作と伝えられています。
● 誓閑寺の文化財
誓閑寺には新宿区指定文化財が2つあります。
誓閑寺の梵鐘
1682年(天和2年)に近隣住民の寄進により鋳造された新宿区最古の梵鐘。
総高138cm、口径79cm、周囲236cm。
「武州荏原郡」の記載があり、当時の地名表記の変遷を示す貴重な史料。
鐘楼は昭和49年(1974年)に千葉県木更津市の選擇寺から移築。
銅造地蔵菩薩半跏像
1818年(文政元年)に誓閑寺第十世住職・進誉求道の時代に鋳造。
神田の鋳物師・太田駿河守藤原政義の作。
高さ136cm、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏像。
台座には「百万遍講中」と刻まれ、尾張徳川家の奥女中との関連がうかがえる。
● 尾張徳川家との関係
誓閑寺は尾張徳川家の下屋敷に隣接していたことから、奥女中の墓が多く存在しました。現在は「大奥老女・川瀬の墓」だけが残されています。
● 夏目漱石と誓閑寺
夏目漱石は、随筆『硝子戸の中』の中で、誓閑寺の鐘の音について触れています。区内最古の梵鐘には「荏原郡」と刻まれており、1682年(天和2年)頃、この地がまだ旧郡名「荏原郡」と呼ばれていたことを示す証拠となっています。
● 誓閑寺の謎
誓閑寺の梵鐘には「武州荏原郡」と記されていますが、1682年当時、すでにこの地域は豊島郡に属していたはずです。このため、室町時代に荏原郡に属していた名残ではないかという説があるものの、郡境がどこにあったのかは不明です。同様の謎を持つ庚申塔が近くの来迎寺にも残されています。
すてき
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ひでどらごん1140投稿
鳥好きです。2011年~から拝受した御朱印をすべてホトカミにUPしています。 【初めての御朱印】 神田明神(東京都)平成23(2011)年 鳳凰の御朱印帳に惹かれて、御朱印の拝受を始めました。...もっと読む
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