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らいごうじ|浄土宗紫雲山

来迎寺のお参りの記録一覧
東京都 早稲田(メトロ)駅

ひでどらごん
ひでどらごん
2025年02月01日(土)
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浄土宗寺院の来迎寺は、紫雲山聖衆院と号します。祟蓮社傳誉上人学阿西入良縁和尚(万冶3年1660年寂)が寛永8年(1631年)に創建しました。当寺に所蔵されている庚申塔には、江戸時代の年号が刻まれていますが、所在地として「湯原郡(荏原郡)」と記されており、江戸時代になっても中世の行政区分が利用されていたことがわかります。来迎寺は、山の手三十三観音霊場の第18番札所としても知られています。

● 来迎寺の歴史
来迎寺は、祟蓮社傳誉上人学阿西入良縁和尚が寛永8年(1631年)に創建したとされています。江戸時代の文献にもその歴史が記録されており、当時の境内の広さや宗派の関係性についても触れられています。

● 文献にみる来迎寺の記録
「牛込區史」では、来迎寺の開山が崇蓮社傳誉上人であり、寛永8年に創建されたこと、さらに境内の一部が済松寺の領地であったことが記されています。

「東京名所図会」によると、本堂の右手に庚申塔があり、その碑文には「武州湯原郡牛込馬場下町」と記されていました。「湯原郡」は荏原郡の誤りとされ、かつてこの地域が荏原郡に属していたと考えられています。

「御府内寺社備考」では、本尊の阿弥陀如来像の詳細や、観音堂、稲荷社、延命地蔵尊、万人塔といった境内の施設についても言及されています。

● 来迎寺の庚申塔
来迎寺には、延宝4年(1676年)に造立された板碑型の庚申塔があります。石質は非常に硬い玄武岩で、高さは120cm。上部左右に日月、中央に三猿、下部には対面した雄雌の鶏が浮彫されています。これは江戸時代前半の庚申塔の典型的な特徴を持つ貴重な史料です。

また、この庚申塔には「武州湯原郡牛込馬場下町」と刻まれており、江戸時代になってもなお、中世の地名が使われていたことを示しています。同様の事例として、近くの誓閑寺の梵鐘にも「荏原郡」と記されており、当時の地名の混乱がうかがえます。

この庚申塔は、現在、新宿区の有形民俗文化財に指定されています。

来迎寺(東京都)
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