つくどはちまんじんじゃ
筑土八幡神社の編集履歴
ご由緒
昔、嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に武蔵国豊嶋郡(こおり)牛込の里に大変熱心に八幡神を信仰する翁がいた。ある時、翁の夢の中に神霊(しんれい)が現われて、「われ、汝が信心に感じ跡(あと)をたれん。」と言われたので、翁は不思議に思って、 目をさますとすぐに身を清めて拝もうと井戸のそばへ行ったところ、かたわらの一本の松の樹の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現れて松の梢にとまった。翁はこのことを里人に語り神霊の現れたもうたことを知り、すぐに注連縄(しめなわ)をゆいまわして、その松を祀(まつ)った。
その後、伝教大師(でんきょうだいし)がこの地を訪れた時、この由を聞いて、神像を彫刻して祠に祀った。その時に筑紫(つくし)の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡(つくどはちまん)神社と名づけた。
さらにその後、文明年間(今から約五百年前)に江戸の開拓にあたった上杉朝興(うえすぎともおき)が社壇(しゃだん)を修飾して、この地を産土神(うぶすながみ)とし、また江戸鎮護の神と仰いだ。御祭神は応神(おうじん)天皇、神功(じんぐう)皇后、仲哀(ちゅうあい)天皇である。
現在、境内地は約二千二百平方米あり、昭和二十年の戦災で焼失した社殿も、昭和三十八年氏子の人々が浄財を集めて、 熊谷組によって再建され、筑土八幡町・津久戸町・東五軒町・新小川町・下宮比町・揚場町・神楽可視・ 神楽坂四丁目・神楽坂五丁目・白銀町・袋町・岩戸町の産土神として人々の尊崇を集めている。大祭は九月十五日に毎年行われている。
境内には、庚申塔(後出)・鳥居(享保十一年/1726年)・狛犬(文化七年/1810年)・百度石(明治十五年)などの古い石造物や、「金太郎」「一寸法師」「花咲爺」などを作曲した田村虎蔵の歌碑(昭和四十一年)がある。
御朱印
あり