真言宗豊山派
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楽しみ方愛染院のお参りの記録一覧

御府内八十八カ所霊場 16カ所目は第18番の愛染院さん。納経した場合は手書きの御朱印をいただけるようですが、納経しない場合は本堂前にあるスタンプを自分で押印する形です。





愛染院は、新義真言宗の寺院で、正式には獨鈷山光明寺愛染院と号します。創建年代は不詳ですが、弘法大師が関東を巡錫した際、麻布善福寺の地に創建され、本尊の五指量愛染尊を安置したと伝えられています。その後、慶長16年(1611)に正斎によって麹町貝塚に移され、寛永11年(1634)には江戸城外堀建造のため現在の新宿区若葉に移転しました。
● 愛染院の歴史
愛染院は、開山の経緯について諸説ありますが、弘仁年間(810年 - 824年)に弘法大師空海が開いたとも、1611年に正斎が開山したともいわれています。江戸時代には、柳澤出羽守や紀伊和歌山藩の祈願所となり、江戸庶民の信仰を集めました。戦災で焼失しましたが、昭和35年(1960)に再建され、現在に至ります。
● 文化財と名士の墓所
愛染院には、新宿区の指定文化財である2つの墓所があります。
・ 高松喜六の墓:内藤新宿の開発を手掛けた浅草の名主である高松喜六の墓があります。彼は宿場開設を幕府に請願し、問屋・本陣を経営しました。
・ 塙保己一の墓:江戸時代の国学者で『群書類従』の編者である塙保己一の墓もあります。彼は幼少期に失明しましたが、優れた記憶力を活かし、多くの学問を修めました。墓はもともと安楽寺にありましたが、同寺が廃寺となったため、愛染院に改葬されました。
● 愛染院と御府内八十八ヶ所霊場
愛染院は、御府内八十八ヶ所霊場の第18番札所です。弘法大師ゆかりの地として、多くの参拝者が訪れています。






愛染院は新宿区若葉にある新義真言宗の寺院で獨鈷山光明寺と号します。創建年代等は不詳ながら、弘法大師が関東巡錫の折、麻布善福寺の地に創建、本尊五指量愛染尊を安置、大日如来より八祖相承之獨鈷を納めていたといいます。その後正斎が麹町貝塚に慶長16年(1611)中興、寛永11年江戸城外堀建造のため当地に移転したといいます。当寺には内藤新宿を開発した元浅草の名主高松喜六や、群書類従編者として名高い江戸時代中期の国学者塙保己一の墓があり新宿区文化財に指定されています。境内は整然として手入れが行き届いてました。警備も万全な感じです。
本堂前にある、御朱印スタンプを自分で押して賽銭するようです。御府内八十八ヶ所霊場18番札所です。

寺号標柱

案内板

境内

境内

弘法大師石碑




本堂


御朱印

JR四谷駅から徒歩8分。御府内八十八ヶ所第19番の真言宗寺院。ご本尊は大日如来です。
1611年に加藤清正の実弟である正濟上人が開いたといわれ、1634年に現在地へ移ってきました。
地元「内藤新宿」の開発に携わった高松喜六や江戸時代中期の国学者塙保己一のお墓があります。
「御朱印」は、「納経をした者だけが直書き」でいただくことができ、「納経しない者」は、本堂前の箱の中に入っているスタンプでセルフで行います。
しかし、このご時世なのかわかりませんが、直書きでもセルフとのことで、納経した書は、同じ箱に入れて下さいとの対応でした。
お勤めや法事で手が離せないという理由なら納得できますが、どういう了見なのか?しかも納経したものを本堂前の缶からに入れて下さいという
そっけない対応に正直呆れてしまいました。
どういう気持ちで納経をするのか?お寺方は、納経をする本来の意味をわかった上で「参拝者に求めて」いるのか?他に最低限の対応があるのではと疑問に感じました。
今回は、まともな対応できないと思い、お参り「だけ」をして、納経は諦めました。
「コロナ」はわかりますが、いつまでも後ろ向きでいても何も進みません。
こんな感想を書いていて、私自身も虚しいものです。




本堂です。この前に箱が用意してあって、「御朱印」はスタンプ式でセルフになっています。

環境的には整っていますが・・・。納経しないのと同等な扱いには「しっかり対応してわかるように掲示して下さい。」と思いました。信頼に置けないので、納経は「信頼できる」近くの寺院でお願いいたしました。
東京都のおすすめ3選❄️
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