すがじんじゃ
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楽しみ方須賀神社のお参りの記録一覧

【東京編 ⑦】
本性寺様から最後のお参りは須賀神社へ行きました😊
★須賀神社★
今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。
須佐之男命の鎮座の儀は、寛永十四年、島原の乱に日本橋大伝馬町の大名主馬込勘由と言う人が、幕府の命に依り、兵站伝馬のご用を勤め、その功績に依り、現在の四谷の中心一円の地を拝領したのを機会に、寛永二十年、神田明神社内に祀ってありました日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、御両社として祀る様になり、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来ました。明治元年に須賀神社と改称され、明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃されました。
社名の須賀とは、須佐之男命が出雲の国の簸の川上に八俣の大蛇を討ち平らげ拾い「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と宣り給いて、宮居を占め給いし故事 に基づき名付けられた名称です。
往古の御社殿はつまびらかではありますが、戦災前の御社殿は、文化十一年八月に起工し、十五年の歳月をついやして文政十一年十二月に竣工したものです。大正十二年九月一日の関東大震災めでは江戸名所図会に描かれたままの姿でありました。昭和二十年五月二十四年の東京大空襲の折り、御本殿並びに御内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失いましたが戦後、氏子崇拝者の赤誠に依って 今日の復興を見ることが出来ました。
当社の本殿御内陣は文政二年に造営されたものでありますが、先の戦災の折り、辛うじて焼失を免れたものの極度に老朽化が進み、この儘では保存に支障をきたすとして、この度その大修復工事が行われ、昭和六十三年秋に着工、平成元年五月九日に落成し、同月十八日に遷座祭が執行されました。
ー須賀神社HPよりー

透かし御朱印
クリアファイルに入れて下さいました😊

☆大鳥居⛩️☆

☆狛犬様☆


☆神楽殿☆

☆神輿庫☆

☆手水舎☆


☆御拝殿☆


【主祭神】須佐之男命•宇迦能御魂神
主祭神の左右には櫛稲姫を始め八柱の御子を祀っています。
【五男神 】天忍穂耳命•天穂日命•天津彦根命•熊野樟日命•活津彦根命
【三女神 】多紀理姫命•市杵島姫命•多岐都姫命二柱の主祭神を中心に祀り、世に天王様として親しまれ、御祭礼は四谷の「天王祭り」また「かっぱ祭り」として有名でありました。
稲荷大神は五穀豊穣•開運招福•商売繁盛の神様として、須賀大神は暦神として、また土木建築•悪霊退散•諸難•疫病除けの神として古くより庶民の信仰を集め、霊験あらたかであったと伝えられています。

☆扁額☆

☆天井画☆

☆大黒様☆


☆祖霊社☆

☆社務所入口の狛犬様☆


☆天白稲荷神社の鳥居⛩️☆

☆天白稲荷神社様の狛犬様☆
お稲荷様じゃないんですね




☆須賀神社の三十六歌仙絵☆
実物は御拝殿の中にズラ〜っと飾られています



信濃町の通院帰りに,最近は毎回は寄らないのですが,今日はこの先のお寺に行きたかったので、須賀神社さんに何ヶ月か振りにお参りしました。
アニメ『君の名は』で有名になった男坂は、いつも海外からのアニメファンがいっぱいで、階段の下でも上でも途中でも写真や動画を撮っているので、本当は普通に通路として使用したいところ、そこを通る勇気が出なくて^_^:正面鳥居の右手の女坂を利用しています。
今回、御朱印をいただく予定はなかったのですが、社務所に貼ってあった御朱印見本の中に,以前見たことなかった御朱印があり、頂きました。
神社オリジナルのクリアファイル付きで、半透明の薄紙が重なるタイプの御朱印でした。

半透明の紙と二重になった御朱印です(書き置きのみ)

上をめくったところ


オリジナルのクリアファイル付きです






東京都新宿区にある須賀神社に参拝⛩️ここは映画「君の名は」のラストシーンの階段のモデルの場所で聖地巡礼の人が平日だが多い模様。絵馬を見るとハングルや中国語、英語と海外からと思われるものも多い。凄い人気だ。御朱印は書置きでいただきました。

須賀神社〜階段の絵馬

須賀神社〜映画「君の名は」ラストシーンの階段

須賀神社〜赤い大鳥居と社号標

須賀神社〜社殿

須賀神社〜御朱印

須賀神社〜境内社・太白稲荷神社

須賀神社〜境内社・大黒社

須賀神社〜境内社・祖霊社

須賀神社は東京都新宿区須賀町に位置する由緒ある神社です。四谷十八か町の総鎮守として知られ、主祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)と宇迦能御魂神(うかのみたまのみこと)です。
須賀神社は、新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』の重要な舞台として知られています。映画のラストシーンや宣伝ポスターなどで印象的に描かれた階段が特に有名です。
映画では、主人公の立花瀧と宮水三葉が再会する重要なシーンがこの階段で展開されます。また、キービジュアルでも須賀神社の階段からの景色が使用されており、映画公開時には多くのファンが聖地巡礼に訪れる人気スポットとなりました。歴史
須賀神社の起源は古く、もともとは稲荷神社でした。寛永11年(1634年)に現在の地に移転され、明治元年に須賀神社に改称されました。「須賀」という名称は、須佐之男命が出雲の国で大蛇を討ち取ったときの言葉「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」に由来しています。
特徴と見どころ
建築:戦災により老朽化が進んでいましたが、大修復工事が行われ、現在は都内でも珍しい金色の荘厳華麗な建築物となっています。
文化財:三十六歌仙絵巻などの奉納があり、新宿区有形文化財に指定されています。
年中行事:6月の例大祭や11月の酉の市では、境内に屋台が並び、多くの参拝客で賑わいます。

須賀神社です。

君の名はでも描かれている男坂です。

こちらは女坂です。

鳥居⛩️です。

狛犬です。


手水舎です。

本殿です。




大黒様です。

稲荷社です。

須賀神社は東京都新宿区須賀町に鎮座する神社で、江戸時代には四谷地域の総鎮守として信仰されてきました。主祭神は須佐之男命(須賀大神)と宇迦能御魂命(稲荷大神)。神紋は「抱き稲に左三つ巴」で、古くから五男神や三女神が祭られています。現在は郷社の地位を持ち、地域の重要な信仰の中心です。
● 歴史と移転
須賀神社の起源は寛永11年(1634年)にさかのぼります。当初、赤坂一ツ木村の清水谷にあった稲荷神社が、江戸城外堀普請のために四谷に移転されました。寛永14年(1637年)には、神田明神の摂社であった牛頭天王が合祀され、神社は「四谷牛頭天王社」として知られるようになりました。明治元年には神仏分離により「須賀神社」と改称され、明治5年には郷社に昇格しました。
● 戦災と復興
第二次世界大戦中の東京大空襲で、須賀神社は本殿と摂社を残し、その他の建物を失いました。その後、氏子崇拝者の協力により復興が進められ、平成元年には大修復工事が完了し、現在の荘厳華麗な本殿が完成しました。
● 祭事と信仰
須賀神社では一年を通じて多くの祭事が行われます。代表的な祭りには、1月1日の元旦祭や2月3日の節分祭、4月の稲荷祭、6月の例大祭などがあります。特に「天王祭り」や「かっぱ祭り」は地元で有名であり、稲荷大神と須賀大神への信仰が地域の人々に深く根付いています。

























♪きみのぜんぜんぜんせから僕は〜

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