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築土神社ではいただけません
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築土神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月30日(火)
参拝:2022年11月吉日
東京都千代田区九段に鎮座する神社で、創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。
天慶3年(940)6月、江戸の津久戸村に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として創建されたという。
室町時代に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられることもあった。
元和2年(1616)に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地へ移転し、「築土明神」と呼ばれた。
明治7年(1874)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称する。
300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。
平成6年(1994)、境内地にオフィスビルを建設するとともに、鉄筋コンクリート造の社殿を新築。毎年正月に授与される勝守(かちまもり)が有名である。
天慶3年(940)6月、江戸の津久戸村に平将門の首を祀り、塚を築いたことから「津久戸明神」として創建されたという。
室町時代に太田道灌により田安郷(現:千代田区九段坂上)へ移転させられて以降は「田安明神」とも呼ばれ、日枝神社、神田明神とともに江戸三社の一つにも数えられることもあった。
元和2年(1616)に江戸城の拡張工事により筑土八幡神社隣接地へ移転し、「築土明神」と呼ばれた。
明治7年(1874)天津彦火邇々杵尊を主祭神として「築土神社」へ改称する。
300年以上の間、筑土八幡神社と並んで鎮座していたが、1945年の東京大空襲によって全焼し、1954年、現在の九段中坂の途中にある世継稲荷境内地へ移転した。
平成6年(1994)、境内地にオフィスビルを建設するとともに、鉄筋コンクリート造の社殿を新築。毎年正月に授与される勝守(かちまもり)が有名である。
すてき
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竜王1324投稿
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