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2024年11月20日(水) 12時37分 by神祇伯

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郵便番号
編集後
198-0004
ご由緒
編集前
 本神社の創立時代は非常に古いため不明であり、公称「虎柏神社」と称して従前の社号に戻しました。崇神天皇の御代に神地神戸(神社の土地と人民)を貰い、延喜年間官帳に記載されました(これを延喜式内神社といいます)。多摩郡八座(多摩地方で官帳に記載した八神社)の一つになり、毎年の祈年領幣の官祭(毎年行われる各種の祭祀)を行っていました。
 いつの頃からか領主の御神と称して「諏訪上下神」を正殿として、「虎柏神社」を脇殿に遷されました。そのため、自然に名前が変わってしまいましたが、明治維新の際に永く埋没していた社号(虎柏神社)を使用すると共に、大歳御祖神、惶根神を正殿に遷し、諏訪上下神を相殿(脇殿)に遷しました。 
 東方の御相殿の「諏訪上下神社」は、天慶三年(940)に六孫王経基が当国に在住の際に勧請したもので、本神社は虎柏神社でありますが、「お諏訪さま」と親しまれておりますのは中世より明治維新まで永く「諏訪上下神社」が正殿となったことによります。
 西方の御相殿の「八雲神社」は、天正十六年(1588)に浅野弾正少弼長政が疫神として勧請されました。祭神は「武勇の大神」でありますが、祇園精舎の守護神となっており「牛頭天王」ともいいます。
編集後
 本神社の創立時代は非常に古いため不明であり、公称「虎柏神社」と称して従前の社号に戻しました。崇神天皇の御代に神地神戸(神社の土地と人民)を貰い、延喜年間官帳に記載されました(これを延喜式内神社といいます)。多摩郡八座(多摩地方で官帳に記載した八神社)の一つになり、毎年の祈年領幣の官祭(毎年行われる各種の祭祀)を行っていました。
 いつの頃からか領主の御神と称して「諏訪上下神」を正殿として、「虎柏神社」を脇殿に遷されました。そのため、自然に名前が変わってしまいましたが、明治維新の際に永く埋没していた社号(虎柏神社)を使用すると共に、大歳御祖神、惶根神を正殿に遷し、諏訪上下神を相殿(脇殿)に遷しました。 
 東方の御相殿の「諏訪上下神社」は、天慶三年(940)に六孫王経基が当国に在住の際に勧請したもので、本神社は虎柏神社でありますが、「お諏訪さま」と親しまれておりますのは中世より明治維新まで永く「諏訪上下神社」が正殿となったことによります。
 西方の御相殿の「八雲神社」は、天正十六年(1588)に浅野弾正少弼長政が疫神として勧請されました。祭神は「武勇の大神」でありますが、祇園精舎の守護神となっており「牛頭天王」ともいいます。
ご祭神/ご本尊
編集前
《主》大年御祖神,惶根神,建南方命,事代主命,須佐之男命,《末社》味須気高彦根神,倉稲魂命,天児屋根命
編集後
大年御祖神
惶根神
建南方命
事代主命
須佐之男命
アクセス
編集前
JR青梅線「東青梅駅」から徒歩20分
都営バス、西武バスにて「諏訪神社前」下車
編集後
JR青梅線「東青梅駅」から徒歩20分
都営バス、西武バスにて「諏訪神社前」下車