あおいじんじゃさとみや
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青渭神社里宮ではいただけません
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青渭神社里宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月26日(木)
参拝:2020年8月吉日
青渭神社(あおい~)は、東京都青梅市にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は大国主命。青梅市の惣岳山山頂に奥宮、その麓に里宮がある。奥宮近くに真名井という霊泉があり、その別名を「青渭の井」と呼ばれ、社名の由来となったと伝わる。
創建は不詳。社伝によると、崇神天皇7年、国中に疫病が流行し、天皇が各地の神々に疫病退散を祈念し、当社にも神地が寄進され祭祀を行った。平安時代の天慶年間(938年~947年)に源経基が社殿を造営したとされる。現在の社殿は江戸時代末期の1846年に再建。明治時代に入り、惣岳山の麓に拝殿を建立して遥拝殿としたが、現在では山頂の本社を奥宮、山麓の遥拝殿を里宮とし、例祭など神事は里宮で実施している。
なお、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「武蔵国 多磨郡 青渭神社 小」と記載があるが、その論社は当社以外にも2社あり、府中市の「青渭神社」と稲城市の「青渭神社」がある。
当社は、JR青梅線・沢井駅の西北西1kmの、民家もまばらな山麓寄りの山中にある。境内はさすがの広さで、入口の鳥居から、数段高い場所にある社殿周りまで、のびのびと使われていて気持ちが良い。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午後、参拝者は自分以外にはいなかった。
創建は不詳。社伝によると、崇神天皇7年、国中に疫病が流行し、天皇が各地の神々に疫病退散を祈念し、当社にも神地が寄進され祭祀を行った。平安時代の天慶年間(938年~947年)に源経基が社殿を造営したとされる。現在の社殿は江戸時代末期の1846年に再建。明治時代に入り、惣岳山の麓に拝殿を建立して遥拝殿としたが、現在では山頂の本社を奥宮、山麓の遥拝殿を里宮とし、例祭など神事は里宮で実施している。
なお、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』には「武蔵国 多磨郡 青渭神社 小」と記載があるが、その論社は当社以外にも2社あり、府中市の「青渭神社」と稲城市の「青渭神社」がある。
当社は、JR青梅線・沢井駅の西北西1kmの、民家もまばらな山麓寄りの山中にある。境内はさすがの広さで、入口の鳥居から、数段高い場所にある社殿周りまで、のびのびと使われていて気持ちが良い。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午後、参拝者は自分以外にはいなかった。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。鳥居の左下にある低い石碑が<社号標>。鳥居の後ろに続く、天に昇るような階段の雰囲気が良い。
階段を登り切ったところから見える境内の景色。
社殿の前にも階段がある。
最後の階段手前にある<手水舎>。
階段途中から<拝殿>を望む。<狛犬>は階段を上がってくる人を見下ろしながら睨む姿勢になっていて面白い。
<拝殿>正面。華美なところがなく、質実剛健な感じ。
一カ所だけ、華やかなのは<扁額>。社名<青渭>に合わせてか、水色で書かれている。
すてき
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惣一郎1269投稿
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