てんだいしゅうさいこうじ|天台宗|超越山
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楽しみ方天台宗西光寺の御由緒・歴史
歴史詳細情報

西光寺は正式には「超越山来迎院西光寺」といいます。嘉禄元年(一二二五)の創立で、天台宗に属し、総本山は比叡山延暦寺です。西光寺の創立者は、葛西三郎清重という 鎌倉時代に源頼朝を始めとする鎌倉将軍三代に仕えた武将で、 西光寺は元々葛西三郎清重の居館でした。 清重の居館が寺になったご縁にはドラマティックないきさつがあります。今から約八〇〇年前、親鸞聖人が関東遊行布教の際に、 清重の館(現西光寺)に立ち寄られました。その後、雨が降り止まず親鸞を五十三日の間、足止めさせることになります。 梅雨の時期だったのかも知れません。 しかし、その期間に清重は存分に親鸞の教えを聞くことができ、 喜び感動のあまり発心し、親鸞聖人に帰依して御弟子となり、名前を西光坊定蓮(じょうれん)と改め、自らの居館を西光寺とします。

それからというもの、親鸞聖人直筆の阿弥陀佛(現存)を本尊として日夜拝み、日本仏教の復興は聖徳太子の功績によることを知り、 その高徳を慕い、自ら聖徳太子像(現存)を刻みました。親鸞も清重の気持ちに応え、聖徳太子像の御腹籠(胎内仏)として自ら阿弥陀仏像(現存)を刻み清重に与えています。以来、雨降山(うこうざん)西光寺は浄土真宗の寺として法灯を伝えていますが、その後、度重なる戦火のもとに寺は衰退し、一時は無住職状態になります。 一六四〇年頃、天台宗の僧侶の尽力により、浅草寺の末寺として復興し、山号を超越山と改めました。 来迎院とは阿弥陀様がお迎えに来て下さるお寺という意味です。現在、超越山来迎院西光寺は、天台宗の寺院として、 現在も伝教大師最澄様の教えとともに、法灯を伝えています。 皆様のお参りをお待ちしております。
詳しくはこちらのページをご覧ください
| ご本尊 | 阿弥陀如来立像 | |
|---|---|---|
| 創建時代 | 1225年(嘉禄元年) | |
| 開山・開基 | 葛西三郎清重 | |
| ご由緒 | もともとは当地の領主だった葛西三郎清重の館。親鸞上人が逗留した際、自ら阿弥陀如来の像を画いて清重に与えました。清重は喜び、親鸞の弟子となり、西光房と号し、宅地内に一寺を建てたが、聖人の逗留中、五十余日の間、雨が降りつづいたので山号を雨降山とし、寺を西光寺と名づけました。永禄7年(1564)の国府台の合戦の折、兵火に遭い、幾度かの水害で無住の時期がありましたが、寛永年間に旅の僧によって天台宗の寺として再興し山号を超越山と改めました。 |
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