真言宗豊山派清瀧山
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観音寺の編集履歴
2022年11月12日 11時52分
ご由緒
天文年中(1532-1553)に長偏僧都が開基となり創建したといいます。江戸時代には、法界寺と共に将軍鷹狩りの際の御膳所にあてられていました。江戸時代の三河島近辺は鶴の飛来地で、毎年11月からの農閑期に、竹の囲いを廻らして、つるの餌付けがおこなわれていました。 将軍家は特に八代吉宗以降、頻繁に鷹狩りを行いました。なかでも鶴は珍重され、鶴の捕獲を目的とする将軍放鷹は「鶴お成り」と称され、捕らえた鶴は天皇に献上する習わしでした。三河島筋の鶴お成りの際には、観音寺か法界寺が御膳所にあてられしました。 観音寺にお成りの場合は、将軍は正門からではなく、東側の竹藪を切り開いて出入りしたといいいます。そのつど寺では土地の名産「三河島菜」を献上するのが例でした。
ご祭神/ご本尊
十一面観音
御朱印
あり
山号
清瀧山
院号
龍光院
創立
天文年中(1532-1553)
創始者/開山・開基
長偏僧都
巡礼
豊島八十八ヶ所霊場第6番札所
文化財
絹本着色真言八祖画像(荒川区登録文化財)
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