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むさしのはちまんぐう

武蔵野八幡宮のお参りの記録(10回目)
東京都吉祥寺駅

投稿日:2025年09月08日(月) 12時06分45秒
参拝:7年9月吉日
今年の夏、九月に入ってなお延長戦に突入したかのように感じられる。暦の上では秋のはずなのに、容赦のない陽射しと湿気を帯びた空気が街を支配している。かつては sudden d____という言葉で決着の速さを強調したものだが、いつの頃からかその表現は耳にしなくなった。時代の感覚の変化なのかもしれない。しかし、こと季節に関して言えば、「突然」はむしろ本質を突いている。季節は半年もの延長を許すことはないが、夏はある日を境に唐突に幕を下ろし、ときには秋を駆け抜けるように、冬が急ぎ足でやって来る。その劇的な転換の様は、まさに sudden という言葉にふさわしい暗喩ではないだろうか。

そんなことを思いながら、炎天下の武蔵野八幡宮へと向かった。境内に足を踏み入れると、濃い緑の木々の葉が陽を受けてきらめいている。参拝の前に立ち寄る手水舎は、いつ訪れても凛とした空気が漂い、清涼な水の流れが心を落ち着かせる。柄杓を手に取り、一連の作法を終えたあと、私は決まって二本の竹に掛けて戻す。柄の根元と切り止めを橋のように支えさせる置き方だ。竹は半円状で水は自然に流れ落ち、乾きも早い。そのため次に手を伸ばす人に濡れた感触を残さない。この理にかなった構造に、古人の知恵のようなものを感じる。

しかし目を凝らすと、別の置き方をしている柄杓も見つかる。水盤の両端に設けられた木製の板状の物置きに並べられているのだ。私の解釈では、あれは本来、濡れた手を拭いたハンカチや軽い荷物を置くための場所ではないかと思う。平らな板の上では水が溜まりやすく、乾きにくい。柄杓をそこに戻すと、水滴が残り、次に使う人に不快さを与えるかもしれない。竹と比べると、明らかに合理性で劣ると感じられる。

つまり、こちらの神社では手水舎には柄杓の戻し方に二つの流儀が存在する。竹に掛けるか、板の上に置くか。その違いは一見些細に思えるかもしれない。しかし乾きやすさ、衛生面、そして次の参拝者への配慮を考え合わせれば、やはりい竹に掛けて戻す方法こそが理にかなっているだろう。小さな所作のなかに、参拝者同士を思いやる心が表れているのかもしれない。そんなことを考えさせられる、夏の名残を抱えた手水舎の光景だった。
武蔵野八幡宮(東京都)
武蔵野八幡宮(東京都)

すてき

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