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八幡神社ではいただけません
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八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月11日(木)
参拝:2023年5月吉日
★鎌倉街道上道散策(国分寺〜府中市)2
【散策ルート】
国分寺駅〜①お鷹の道/真姿の池〜②武蔵国分寺〜③本村八幡神社〜④東山道武蔵路跡〜⑤伝鎌倉街道〜⑥武蔵国分尼寺跡〜⑦武蔵国分寺跡〜⑧馬場大門のけやき並木〜⑨大國魂神社〜⑩妙光院〜⑪安養寺〜⑫善明寺〜府中本町駅
武蔵国分寺薬師堂から脇道を入ると、本村八幡神社の拝殿へ続きます。
③本村八幡神社
本村八幡神社は国分寺市西元町にある神社で、国分寺の観音堂の横にあります。創設は元和年間(1615~1625)で、祭神は応神天皇です。国分寺村に神社がなかったことから本多氏の屋敷神の八幡宮を国分寺の敷地を借りて遷し国分寺村の鎮守としたそうです。緑豊かな森のような地に佇む朱色屋根をした「社殿」は享保5年(1720)に建立されました。境内には「忠魂碑」や「慰霊碑」、「土師竪穴住居跡」があり、境内社として祓戸神社、榛名神社があります。例大祭は大大鼓、神輿、それに彫物が見事な山車が巡幸していたとの事です。今はその賑やかさはなくひっそりとした神域となっていました。
本村八幡神社の階段を降りて北へ行くと泉町二丁目の介護施設と西国分寺住宅の間に古代の道路遺構のスペースがあります。介護施設とマンションの間の憩いの場になっているようでした。
④東山道武蔵路跡
泉町二丁目の西国分寺住宅の東側にある東山道武蔵路跡は古代の道路遺構です。東山道武蔵路は、都と地方の国府を結ぶ古代の幹線道路「七道」の一つで、上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)です。
発掘調査で幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認され、地下遺構を保存して現在の道路が築造されたそうです。現在、その道路跡を歩道形式で保存しています。また、谷部へ下る切り通しの部分の遺構平面レプリカを野外展示しています。
武蔵国府(府中市)へ向かう東山道武蔵路を挟んで、西に武蔵国分尼寺、東に武蔵国分寺が存在しているのは、東山道武蔵路と密接な関わりを持つことが明らかになっています。
府中街道とJR武蔵野線の高架橋を越え南下し、暫くすると切通しの道に繋がります。ここが鎌倉街道跡。両側には昔にそれぞれ寺院関連があったようです。
⑤伝鎌倉街道
伝えられている鎌倉街道は両側を緑に覆われた涼しげな道です。先には緑の公園が広がっている為、ランニングや自転車で移動する人が数多く見られるそうです。古くから地元に根付き、人々に愛されているみんなの道です。道が少し上りになっていて、道の終わりがはっきりと見えないので冒険気分で歩くことが出来ます。
鎌倉街道を抜けると広い公園が現れました。その先に武蔵国分尼寺跡が見えてきます。
⑥武蔵国分尼寺跡
奈良時代中頃、聖武天皇の詔により全国に建立された鎮護国家を祈願する官立寺院の1つである武蔵国分寺の尼寺です。国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されています。国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園しました。尼寺伽藍の中枢部の主要建物や区画施設である掘立柱塀が、埋没保存されているその位置で、建物平面などといった形で、復元的に表示されている貴重な史跡です。出入り自由で市民に親しまれている公園的史跡みたいでした。
北側には、伝鎌倉街道の切通しが残り、その西側に中世の伝祥応寺跡、東側に塚跡があります。
【散策ルート】
国分寺駅〜①お鷹の道/真姿の池〜②武蔵国分寺〜③本村八幡神社〜④東山道武蔵路跡〜⑤伝鎌倉街道〜⑥武蔵国分尼寺跡〜⑦武蔵国分寺跡〜⑧馬場大門のけやき並木〜⑨大國魂神社〜⑩妙光院〜⑪安養寺〜⑫善明寺〜府中本町駅
武蔵国分寺薬師堂から脇道を入ると、本村八幡神社の拝殿へ続きます。
③本村八幡神社
本村八幡神社は国分寺市西元町にある神社で、国分寺の観音堂の横にあります。創設は元和年間(1615~1625)で、祭神は応神天皇です。国分寺村に神社がなかったことから本多氏の屋敷神の八幡宮を国分寺の敷地を借りて遷し国分寺村の鎮守としたそうです。緑豊かな森のような地に佇む朱色屋根をした「社殿」は享保5年(1720)に建立されました。境内には「忠魂碑」や「慰霊碑」、「土師竪穴住居跡」があり、境内社として祓戸神社、榛名神社があります。例大祭は大大鼓、神輿、それに彫物が見事な山車が巡幸していたとの事です。今はその賑やかさはなくひっそりとした神域となっていました。
本村八幡神社の階段を降りて北へ行くと泉町二丁目の介護施設と西国分寺住宅の間に古代の道路遺構のスペースがあります。介護施設とマンションの間の憩いの場になっているようでした。
④東山道武蔵路跡
泉町二丁目の西国分寺住宅の東側にある東山道武蔵路跡は古代の道路遺構です。東山道武蔵路は、都と地方の国府を結ぶ古代の幹線道路「七道」の一つで、上野国(現在の群馬県)から南下して武蔵国府に至る往還路(東山道の支路)です。
発掘調査で幅12mの道路跡が台地上から谷部にかけて490mの長さで確認され、地下遺構を保存して現在の道路が築造されたそうです。現在、その道路跡を歩道形式で保存しています。また、谷部へ下る切り通しの部分の遺構平面レプリカを野外展示しています。
武蔵国府(府中市)へ向かう東山道武蔵路を挟んで、西に武蔵国分尼寺、東に武蔵国分寺が存在しているのは、東山道武蔵路と密接な関わりを持つことが明らかになっています。
府中街道とJR武蔵野線の高架橋を越え南下し、暫くすると切通しの道に繋がります。ここが鎌倉街道跡。両側には昔にそれぞれ寺院関連があったようです。
⑤伝鎌倉街道
伝えられている鎌倉街道は両側を緑に覆われた涼しげな道です。先には緑の公園が広がっている為、ランニングや自転車で移動する人が数多く見られるそうです。古くから地元に根付き、人々に愛されているみんなの道です。道が少し上りになっていて、道の終わりがはっきりと見えないので冒険気分で歩くことが出来ます。
鎌倉街道を抜けると広い公園が現れました。その先に武蔵国分尼寺跡が見えてきます。
⑥武蔵国分尼寺跡
奈良時代中頃、聖武天皇の詔により全国に建立された鎮護国家を祈願する官立寺院の1つである武蔵国分寺の尼寺です。国指定史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されています。国分寺市最初の市立歴史公園として平成15年4月に開園しました。尼寺伽藍の中枢部の主要建物や区画施設である掘立柱塀が、埋没保存されているその位置で、建物平面などといった形で、復元的に表示されている貴重な史跡です。出入り自由で市民に親しまれている公園的史跡みたいでした。
北側には、伝鎌倉街道の切通しが残り、その西側に中世の伝祥応寺跡、東側に塚跡があります。
③本村八幡神社
鳥居
鳥居
③本村八幡神社
化粧狛犬
化粧狛犬
③本村八幡神社
化粧狛犬
化粧狛犬
③本村八幡神社
庚申塔
庚申塔
③本村八幡神社
境内社
境内社
③本村八幡神社
拝殿
拝殿
③本村八幡神社
力石
力石
③本村八幡神社
土師竪穴住居跡 説明板
土師竪穴住居跡 説明板
③本村八幡神社
忠魂碑
忠魂碑
④東山道武蔵路跡
築造道路
築造道路
④東山道武蔵路跡
築造道路
築造道路
④東山道武蔵路跡
説明板
説明板
④東山道武蔵路跡
予想絵図
予想絵図
④東山道武蔵路跡
周辺案内図
周辺案内図
④東山道武蔵路跡
築構平面レプリカ
築構平面レプリカ
⑤伝鎌倉街道
切通し道
切通し道
⑤伝鎌倉街道
道標
道標
⑤伝鎌倉街道
説明板
説明板
伝鎌倉街道と尼坊跡間の公園
伝鎌倉街道と尼坊跡間の公園
⑥武蔵国分尼寺跡
標石柱
標石柱
⑥武蔵国分尼寺跡
石碑
石碑
⑥武蔵国分尼寺跡
説明板
説明板
⑥武蔵国分尼寺跡
礎石
礎石
⑥武蔵国分尼寺跡
中門跡 説明板
中門跡 説明板
⑥武蔵国分尼寺跡
中門跡
中門跡
⑥武蔵国分尼寺跡
幢竿跡 説明板
幢竿跡 説明板
⑥武蔵国分尼寺跡
幢竿跡
幢竿跡
⑥武蔵国分尼寺跡
金堂前幢竿跡 説明板
金堂前幢竿跡 説明板
⑥武蔵国分尼寺跡
金堂前幢竿跡
金堂前幢竿跡
⑥武蔵国分尼寺跡
金堂跡 説明板
金堂跡 説明板
⑥武蔵国分尼寺跡
金堂跡
金堂跡
⑥武蔵国分尼寺跡
金堂跡から尼坊跡
金堂跡から尼坊跡
⑥武蔵国分尼寺跡
尼坊跡
尼坊跡
すてき
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タケ491投稿
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