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2022年11月09日(水) 22時39分 byくまタン

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 佐々木六角刑部少輔久綱三世の孫、野村越中守高勝の二男、次郎高就が慶長4年(1599)に三河の国の真宗有力寺院であった佐々木上宮寺の弟子となり了賢と称し、同14年江戸に出府し法善寺の前身寛慶山常福寺を建立したことに始まります。寛永10年(1633)には了賢師の嫡子浄賢師が本願寺より法善寺の寺号を授かり神田に寺所を定める。明暦3年(1657)通称ふりそで大火で類焼。同じく類焼した神田明神下にあった本願寺別院が幕府より浅草の土地を寄進され再建されたのに伴い同敷地内に法善寺を移転。明和9年類焼。文化3年類焼。文化9年(1812)大火災を避けるため本願寺から離れ寺所を東上野6丁目に移転。第16世理賢師(当山開基)の時、東京市(当時)の市区改正計画のため浅草からの移転を余儀なくされ、大正10年(1921)に赤羽に土地を求めた(現北中学校の一部)ところ、同12年の関東大震災で市区改正計画は変更され浅草法善寺はその地に残ることとなる。赤羽の寺所は昭和3年(1928)に陸軍弾薬庫の拡張のため陸軍被服廠の土地であった現在地に再度移転。
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阿弥陀如来
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