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静勝寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月08日(月)
参拝:2021年3月吉日
靜勝寺(じょうしょうじ)は、北区赤羽西にある曹洞宗の寺院。山号は自得山(じとくざん)。本尊は釈迦如来。
当寺を含む一帯は平地に突き出した高台になっていて、戦国時代には稲付城(いねつけじょう)という城があった。その築城は扇谷上杉氏とその家臣・太田道灌によると伝わる。当寺は、道灌の死後、1504年に道灌の師・雲綱和尚が稲付上の一角に菩提を弔う堂宇を建立し道灌寺としたことに始まる。その後江戸期に入り、太田道灌の子孫、太田資宗が堂宇を整備して中興、太田道灌の号(靜勝軒)、父の太田資清の号(自得軒)から山号と寺号を取って改称した。以後、江戸期を通じて太田氏の菩提寺となったが、明治期には縁がなくなり寂れたが、近隣の都市化と檀家の増加で復興した。
当寺は、JR赤羽駅の西側0.2kmの高台にある。背後に住宅街を抱えるため、境内を通過する人が非常に多い。平地から階段を登って達する境内は、都会にあっても程よい広さで、草木がほどよく生い茂り、堂宇も多く立ち並び、落ち着いた雰囲気が良い。
参拝時は週末の午後、境内を通過する住民以外にも、参拝に訪れている人が複数いた。
当寺を含む一帯は平地に突き出した高台になっていて、戦国時代には稲付城(いねつけじょう)という城があった。その築城は扇谷上杉氏とその家臣・太田道灌によると伝わる。当寺は、道灌の死後、1504年に道灌の師・雲綱和尚が稲付上の一角に菩提を弔う堂宇を建立し道灌寺としたことに始まる。その後江戸期に入り、太田道灌の子孫、太田資宗が堂宇を整備して中興、太田道灌の号(靜勝軒)、父の太田資清の号(自得軒)から山号と寺号を取って改称した。以後、江戸期を通じて太田氏の菩提寺となったが、明治期には縁がなくなり寂れたが、近隣の都市化と檀家の増加で復興した。
当寺は、JR赤羽駅の西側0.2kmの高台にある。背後に住宅街を抱えるため、境内を通過する人が非常に多い。平地から階段を登って達する境内は、都会にあっても程よい広さで、草木がほどよく生い茂り、堂宇も多く立ち並び、落ち着いた雰囲気が良い。
参拝時は週末の午後、境内を通過する住民以外にも、参拝に訪れている人が複数いた。
高台の上にある正門。
正門をくぐって真っ直ぐ進み、まず左手に現れるのが<道灌堂>。その名の通り、太田道灌を祀る。
道灌堂の右手に<本堂>。
本堂正面と扁額。
本堂の左手にある<辯天堂>。
道灌堂の右方向に進むと、左手にある<寺務所>。御朱印はこちら。
寺務所を通り過ぎそのまま進むと、もう一つの寺門。突き当りには<道灌堂>が見える。
もう一つの寺門から下を見下ろすとこんな感じ。左前方には赤羽駅があるはず。真正面に見えるのはJRの高架。
すてき
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惣一郎1269投稿
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