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西福寺のお参りの記録(1回目)
東京都駒込駅

投稿日:2021年03月09日(火) 21時47分42秒
参拝:2021年3月吉日
西福寺(さいふくじ)は、豊島区駒込にある真言宗豊山派の寺院。山号は藤林山、院号は歓喜院。本尊は阿弥陀如来。<染井よしの桜>の発祥の寺としている。

創建は不詳だが、江戸幕府昌平坂学問所が編纂した『新編武蔵風土記稿』に記述から、少なくとも江戸初期には存在していたと推測される。境内の無縁塚にある石製の六地蔵にも明暦元年(1655年)の文字がある。江戸期には、津藩藤堂家の江戸下屋敷が近く、藤堂家の祈願所として栄えた。また当時近隣には植木職人が多く住み植木栽培を行っていたため、8代将軍・吉宗をはじめとする歴代将軍が植木巡りの休憩所として当寺を訪れたとのこと。明治期には廃藩置県で津藩関係者が去って寺運が衰退、住職不在が数十年続いたこともあったとのこと。

当寺は、JR山手線・駒込駅の西方0.5kmの住宅街の中にある。境内の隣に大正期に分離した<染井稲荷神社>がある。境内で参拝者が見て廻れる部分は少なく、ほとんどが墓地。

参拝時は週末の夕方で、自分以外に参拝者はいなかった。(実は自分は別の<西福寺>、北区豊島にある<西福寺>に参拝するつもりだったが、カーナビの設定ミスでこちらに参拝...汗)
西福寺の山門・神門
寺門と本堂。
西福寺の本殿・本堂
本堂全景。
西福寺の像
境内右手の<弘法大師像>。
西福寺の仏像
寺門入って右手の<慈母観音>。
西福寺(東京都)
慈母観音像の後ろにある無縁塚。写真右側にあるのは、江戸前期の明暦元年(1655年)に造られたと刻まれている<六地蔵>。
西福寺のその他建物
奥羽国仙台藩の第13代藩主、伊達慶邦公の墓の跡地。1868年の戊辰戦争で仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主として、薩長軍と戦い敗戦・降伏。死罪は免れるも江戸へ連行され、1874年死去。当寺に葬られたが、のち1890年に伊達藩の祖廟のある仙台の大年寺山に改葬された。
西福寺の自然
本堂左手にある桜の木。ソメイヨシノ? 一本だけ8分咲き。

すてき

御朱印

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