だいこくじんじゃ
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楽しみ方大國神社のお参りの記録一覧

駒込妙義神社様から大國神社様へ🙏🏻
やっと御朱印をいただくことが出来ましたぁ😆
御朱印待ちをしていると、次々と参拝者の方が…
皆さん妙義神社様でおみかけした方々でした😄
通年御朱印
☆鳥居⛩️☆
☆手水舎☆
☆狛犬様☆
☆御拝殿☆
☆授与品☆
月見守りが可愛いかったけど購入見送り💦
穴があいていて覗くと中で兎がお餅をついているそうです🐇

【東京•埼玉南北線 ④】
西福寺様から前回、御朱印を拝受出来なかった大國神社様へ行って来ました😊
着いて社務所を見るとカーテンが閉まっていて『13時まで昼休憩』と立て札があったので、お隣のコンビニへ行ってからお参りをすませて写真を撮っていたらいつの間にかカーテンが開いていたので社務所へ戻ると『本日は終了しました』の立て札が…😳
えっ?どうゆう事?立て札間違えた?それとも急用が出来て社務所開けられない?でもカーテンは開いてるインターフォン押そうか悩みましたが次回にもちこししました😢
3度目の正直になるか、2度あることは3度あるになるか😅
☆鳥居⛩️☆
☆狛犬様と御拝殿☆
☆狛犬様☆
☆御拝殿☆
☆扁額☆
☆小槌が可愛い蟇股☆
お賽銭箱にも小槌😊
門にも小槌😊
お隣のコンビニからパシャリ📸

鳩ヶ谷氷川神社様から移動🚃
駒込で降り妙義神社様へ向かうとき、何故か前を歩いている人につられて違う出口から出てしまい、歩いていたらこちらの神社様に遭遇😍
社務所に気づかず御朱印は拝受出来なかったけど、素敵な神社様にお参りてきて感謝🙏🏻
前を歩いてたお兄さんありがとう😄
【大國神社】
天明3年(1783年)に、当大島家の先祖が現在の地におまつりしたもので、明治12年(1879年)、当時の大総代 細川潤次郎男爵の協力を得て神社としての形を整え、現在に至っています。
江戸時代より、第11代将軍徳川家斉公をはじめ、武士•農民•町民の多数の人々が参拝しています。幕末には新門辰五郎、明治時代になって細川潤次郎文学博士などの著名人も信仰しました。
昭和20年4月13日の戦災により本殿以下5棟が焼失しました。戦後に本殿•拝殿•鳥居•神灯門が建築されました。平成23年暮れに社殿•社務所の建て替えが終了、翌平成24年春には境内整備も完了しました。
当神社は氏神様をお祀りするお社ではなく、個人的な信仰対象としてのご祭神、大己貴命をお祀りする、いわゆる崇敬神社です。もちろん地元の皆様にも親しんでいただき、支えていただいておりますが、祭事には遠方からお参りに見えるかたもおおぜいいらっしゃいます。
ー大國神社HPよりー
門に打ち出の小槌が😊
☆社号碑☆
門が開いていると社号碑が隠れてしまい隙間から撮りました😅
☆鳥居⛩️☆
☆狛犬様その1☆
☆狛犬様その2☆
☆手水舎☆
☆狛犬様と御拝殿☆
【御祭神】大己貴命(大國主命)
お賽銭箱にも打ち出の小槌の彫刻が😊
☆大黒様☆
☆扁額☆
ん?蟇股の絵はもしかして
蟇股にも打ち出の小槌が描かれていましたぁ😆

駒込駅前にご鎮座されています。
神社の宮司である大島家は、下野国(栃木県)の下都賀から出てきて、安永の頃、赤羽の稲付に居を構えて大黒天を邸内神祠としていましたが、天明3年(1783)に駒込に移り現在地にお祀りしたといいます。
11代将軍徳川家斉公が鷹狩りなどの帰途に立ち寄ってから評判になり、彼が世継として西の丸にいた当時から信心しており、間もなく将軍職を継いだので「出世大黒」と呼ばれるようになったとも伝わっています。
明治12年に大総代・細川潤次郎男爵の協力を得て神社としての体裁を整え、現在に至っています。
ちなみに、御朱印のスタンプや絵馬に描かれてるうさぎさんは「大吉うさぎ」と呼ばれているようです。かわいい🥰
拝殿
手水舎
駒込駅を出て道路挟んで目の前です。
御朱印も小槌のお守りもかわいい🥰
お守りは青と緑もありました。

駅目の前に鎮座。
コンパクトな境内に凛とした御社殿。
駅目の前。コンパクト且つ可愛らしい…
拝殿
扁額
御社殿横、本殿も…
…と言う事…らしい😆
阿吽も立派です。
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