こうあんじ
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楽しみ方高安寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年10月12日(日) 08時35分13秒
参拝:2025年10月吉日
正式名:龍門山等持院高安寺
東京都府中市片町にある曹洞宗の寺院で、平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を「市川山見性寺」に改めたのが始まりとされる。
のち、室町幕府初代将軍・足利尊氏が開基となり、建長寺の大徹禅師を開山として招き、臨済宗の禅寺に改めて再興した。この際、尊氏が進めていた「安国寺」の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名である「高氏」から「龍門山高安護国禅寺」と命名された。
その後、度重なる戦乱で衰退・荒廃した。
江戸時代初期には海禅寺(現在の青梅市)の末寺に入り、宗派も曹洞宗と改めた。
現在の本堂は寛永元年(1624)に火災に遭い、消失したものを享和3年(1803)に再建したもので、本堂正面には「等持院」の扁額があり、これは開基となった足利尊氏の法嗣名である。
また、明治5年(1872)建立の山門、そして安政3年(1856)建立の鐘楼は共に東京都選定歴史的建造物に選定されている。
東京都府中市片町にある曹洞宗の寺院で、平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を「市川山見性寺」に改めたのが始まりとされる。
のち、室町幕府初代将軍・足利尊氏が開基となり、建長寺の大徹禅師を開山として招き、臨済宗の禅寺に改めて再興した。この際、尊氏が進めていた「安国寺」の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名である「高氏」から「龍門山高安護国禅寺」と命名された。
その後、度重なる戦乱で衰退・荒廃した。
江戸時代初期には海禅寺(現在の青梅市)の末寺に入り、宗派も曹洞宗と改めた。
現在の本堂は寛永元年(1624)に火災に遭い、消失したものを享和3年(1803)に再建したもので、本堂正面には「等持院」の扁額があり、これは開基となった足利尊氏の法嗣名である。
また、明治5年(1872)建立の山門、そして安政3年(1856)建立の鐘楼は共に東京都選定歴史的建造物に選定されている。
すてき
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竜王1842投稿
人生に迷い、惑い、思い悩んだ三十路も半ば、見えない力に縋りたくて神社仏閣を訪問する日々が始まる…。 全国行脚のなかで怪我や病気が治癒するという奇跡も体験し、素晴らしい出逢いにも恵まれました。 そ...もっと読む
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