真言宗豊山派見次山
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延命寺の編集履歴
2022年11月12日 16時02分
緯度
35.7749283
編集前:35.7749087
経度
139.6924536
編集前:139.6924889
ご由緒
大永4年(1524)、北条氏綱は江戸城を攻め、城を逃れて江戸へ向った上杉朝興は、その途上、志村城下で追討にあい、その際志村城もこの巻き添えとなりました。
城主篠田五郎の家臣・見次権兵衛は庭先でわが子(見次権太郎)が討たれる姿をみて、戦国の世の無情を感じ、居宅を仏寺として自らが開基となってわが子の菩提のため建立しました。江戸時代将軍・徳川吉宗の鷹狩りの小休所となり、御座所・御成門も構えられていました。明治21年の町村制の折は、志村役場が置かれました。その後明治36年3月の火災の時、鐘楼・山門を残して総べての堂字を焼失し、仏像・宝物・古文書類等一切を失ってしまいました。
ご祭神/ご本尊
地蔵菩薩
山号
見次山
院号
松寿院
創立
戦国時代
創始者/開山・開基
見次権兵衛
巡礼
・豊島八十八ヶ所霊場第22番札所
・北豊島三十三ヶ所霊場第24番札所
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