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天祖神社ではいただけません
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天祖神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年01月08日(月)
参拝:2024年1月吉日
自宅に一番近い氏神さま天祖神社さんにお参りしました😊社務所や御朱印はありません。お正月だけお札がセルフで置いてあります✨お正月だけ夜灯りがついています。普段は真っ暗です。今回は御由緒の説明板をじっくり読んでみました🤗
創建は詳らかではありませんが、江戸時代に編さんされた『新編式武蔵風土記稿』には「神明社、持前ニ同シ村の鎮守ナリ」とあり、明治七年(1874)刊行の『東京府志料』には「天祖神社 八雲淡島ノ二神ヲ合祀ス 社地二百四十九坪」と記されています。江戸時代には神明社と呼ばれていたようで、鳥居をくぐった右側に立つ庚申塔には「石神井郷神明村」とも刻まれています。現在の社殿には明治十八年(1885)の建築です。
境内には安政年間(1854〜60)の燈籠や享保二年(1717)の延命寺蔵などの石造物があります。
二十三夜待供養塔
地蔵と庚申塔の隣に立てられている角柱形の石造物です。正面に勢至菩薩と「ニ三夜待供養 文化十三丙子年(1816)二月吉日建之」、右側面に「武州豊嶋群下石神井村」、台石には造立者名などが記されています。二十三夜待は月を拝み飲食を共にする月待ち行事です。区内でも二十三夜待が行われていたことをこの石造物が伝えています。
境内の説明板より
創建は詳らかではありませんが、江戸時代に編さんされた『新編式武蔵風土記稿』には「神明社、持前ニ同シ村の鎮守ナリ」とあり、明治七年(1874)刊行の『東京府志料』には「天祖神社 八雲淡島ノ二神ヲ合祀ス 社地二百四十九坪」と記されています。江戸時代には神明社と呼ばれていたようで、鳥居をくぐった右側に立つ庚申塔には「石神井郷神明村」とも刻まれています。現在の社殿には明治十八年(1885)の建築です。
境内には安政年間(1854〜60)の燈籠や享保二年(1717)の延命寺蔵などの石造物があります。
二十三夜待供養塔
地蔵と庚申塔の隣に立てられている角柱形の石造物です。正面に勢至菩薩と「ニ三夜待供養 文化十三丙子年(1816)二月吉日建之」、右側面に「武州豊嶋群下石神井村」、台石には造立者名などが記されています。二十三夜待は月を拝み飲食を共にする月待ち行事です。区内でも二十三夜待が行われていたことをこの石造物が伝えています。
境内の説明板より
すてき
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