ふみょうじ|天台宗|拝島山
普明寺のお参りの記録一覧
大悲願寺を出て、拝島に戻り徒歩で20分ほどのところにあります。
ホントは「日吉神社」を目指していたのですが、神社の隣に構えているのでお参りしました。
最初は、「これが日吉神社なのか…」と思ってましたが、違和感満載で、説明板を読んで
こちらはが「普明寺」とわかりました。
寺務所も無いのですが、大きな本堂です。
本堂や仁王門の前にある説明板を読むと、かなり歴史の長いお寺のようで、
仁王門の隣の公園は近隣の方々の憩いの場となっているようです。
【こちらのお寺も 萩 が有名のようです】
本堂前の大きな香炉
文字が薄れて何が書いてあるかは判りません。
【黒々と字が判明しても、意味合いは判りませんが…】
賽銭箱は扉の奥にあります。
梵鐘です
祀っている大日如来の説明
石段を下がったところからの眺め
仁王門【お寺を背に】
こちらはお寺に向かっての仁王門
拝島の地名の由来が記されています。
仁王門・右の像
こちらは左の像
拝島山 普明寺 大日堂
境外仏堂である大日堂の創建は、寺伝によると天暦6年(952)玉川花井の島から大日如来の尊像が出現し、人々が祠を建て拝んだところから、拝島の地名がついたと伝えています。
その後戦国期、小田原北条氏が滝山城の築城にさいし、城の鬼門除けとして現在地に移され、滝山城主北条氏照の重臣、石川土佐守が娘の眼病を祈願し、平癒により「大日八坊」といわれた、別当普明寺など一山八ケ寺を建立したと云われます。
天正19年(1591)には徳川幕府より朱印10石を下賜され、享保17年(1732)には大日堂の位置を石段上の現在地に移し、建物を再興しています。
境内は大日堂を中心に薬師堂、鐘楼、仁王門と、天台宗の守護社である日吉神社によって形成され、典型的な天台宗の寺域を構成する都内でも数少ない境域として、「東京都史跡」に指定されています(HP参照)
山門
おねい井戸 滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が、大日堂に娘おねいの眼病平癒を祈願し、この井戸の水で目を洗って治ったので、そのお礼のために古いお堂を建て直し、また新しく「一山八坊」を作り滝山城の鬼門除けにしたと伝えています。
・山王祭礼図絵
本堂
薬師堂
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