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小野神社ではいただけません
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小野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月07日(日)
参拝:2020年2月吉日
東京都多摩市にある神社。延喜式神名帳記載の「武蔵国・多磨郡・小野神社」の論社の一社。武蔵国一之宮。旧社格は郷社。式内論社は他に東京都府中市の<小野神社>があるが、いずれも多摩川流域にあり、氾濫の都度遷座を繰り返した結果、ともに決め手に欠いている。
創建は不詳。奈良時代に作成された太政官符に「多磨郡□野社(小野社と推定される)」の記載が史料の初出。平安時代になると『日本三大実録』に884年に神階が昇格した記述がある。続いて927年に『延喜式神名帳』に小社として記載されている。
645年の大化の改新のころ、府中市の大國魂神社の境内に武蔵国府が置かれたが、国司が国内諸神を配祀し社号を「武蔵国総社」とし、その後六所(6社の神)を奉祀し社号を「武蔵総社六所宮」とした。当社は、この六所の最高位<一宮>とされ、現在でも大國魂神社の例祭には当社が<一宮>として加わっている。なお<二宮>は二宮神社(東京都あきる野市)、<三宮>は氷川神社(さいたま市大宮区)、<四宮>は秩父神社(埼玉県秩父市)、<五宮>は金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)、六宮は杉山神社(横浜市緑区)。合わせて「武州六大明神」と呼ばれる。
室町・戦国時代には後北条氏や太田道灌などの崇敬を受け繁栄した。江戸期になると幕府から朱印地を寄進された。明治期には神奈川県から村社とされ、その後郷社とされた。
当社は、京王線・聖蹟桜ヶ丘駅から歩いて数分の住宅街の中にある。地名は<多摩市一宮>で当社由来。多摩川の南側に位置する。
参拝時は週末の午後で、真冬の2月ではあったが、参拝者は他に数人いた。
創建は不詳。奈良時代に作成された太政官符に「多磨郡□野社(小野社と推定される)」の記載が史料の初出。平安時代になると『日本三大実録』に884年に神階が昇格した記述がある。続いて927年に『延喜式神名帳』に小社として記載されている。
645年の大化の改新のころ、府中市の大國魂神社の境内に武蔵国府が置かれたが、国司が国内諸神を配祀し社号を「武蔵国総社」とし、その後六所(6社の神)を奉祀し社号を「武蔵総社六所宮」とした。当社は、この六所の最高位<一宮>とされ、現在でも大國魂神社の例祭には当社が<一宮>として加わっている。なお<二宮>は二宮神社(東京都あきる野市)、<三宮>は氷川神社(さいたま市大宮区)、<四宮>は秩父神社(埼玉県秩父市)、<五宮>は金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)、六宮は杉山神社(横浜市緑区)。合わせて「武州六大明神」と呼ばれる。
室町・戦国時代には後北条氏や太田道灌などの崇敬を受け繁栄した。江戸期になると幕府から朱印地を寄進された。明治期には神奈川県から村社とされ、その後郷社とされた。
当社は、京王線・聖蹟桜ヶ丘駅から歩いて数分の住宅街の中にある。地名は<多摩市一宮>で当社由来。多摩川の南側に位置する。
参拝時は週末の午後で、真冬の2月ではあったが、参拝者は他に数人いた。
鳥居と社標。社殿は西に向いており、こちらは西の境内入口。
隋神門と狛犬。
隋神門の彫刻が非常に緻密で美しい。お気に入りに認定。
隋神門をくぐったところ。だだっ広くて何もないが、よく掃き清められていて気持ちが良い。季節が違うと立木に青葉が茂るので印象が違うかも。
写真外の左手に社務所があり、神職の方が常駐。御朱印はそちら。
写真外の左手に社務所があり、神職の方が常駐。御朱印はそちら。
参道のちょうど真ん中にある<手水舎>。この右横に、東京都指定文化財となっている<木造随身倚像>を納めた小屋がある。
社殿と狛犬。社殿は最近塗装したのか、朱色が非常にビビッド。屋根の緑色が映える。自分個人的には、古くて味のある朱色の方が良いと思っていたが、若い人にはビビッドな朱色の方が清潔なイメージで良いのかも。
扁額。
御朱印拝受後、ふたたび隋神門で彫刻を見入る。
左上方。
右上方。
南側にも小さめの鳥居と社標がある。面白いことにこちらにも隋神門がある。
サブの入口に隋神門があるのは珍しい。
サブの入口に隋神門があるのは珍しい。
すてき
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惣一郎1269投稿
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