高野山真言宗河上山
福寿院のお参りの記録一覧
多摩八十八ヶ所以降の多摩九五番札所 さま 御朱印の件
2022/12/15(木)
河上山 福寿院様 奈良県先、和歌山県のあの 高野山真言宗
で僧侶資格取った方
不動明王本尊様 (町田市つくし野 3-3-5) 小川という地名今も残る。
綺麗な小川流れていた。井戸水利用。
東急東京都に開発条件は井戸守るため下水道整備。完備希望された。
わさびも造っていた。
住職お寺さんは女将さんの住職さまで、華道先生。
境内花や樹木育て、二百年以上の銀杏切ったのは淋しそうだった。
岩盤の山城で、もし、東急の住宅開発や東京の近郊開発が無かったら?
NHKさまのEテレさまの大和の高野山真言宗の尼寺みたいだったかも知れない。
裏山はアカマツ畑でマツタケ採れたそう。 地元キノコはささこ。茸種類豊富だったみたい。東急さま宅地開発で、つくし野駅前の側は、たいらにされてしまったが小学校がある場所はたぬき出る山みたい。
小川流れる下に農家がある。無人野菜売り場。1つ袋全部百円。
さらに、井戸水は今も健在の家が多いらしい。
地元住民の東急の宅地開発条件は、まず下水完備だった。
東京都さまに下水完備を開発の条件にしていまも井戸水がある家多い。
今はないが、お寺さん下には造り酒屋あったという。
町田市小川という住所はいまも遺る、成瀬駅方面が小川地域で
わさびの田んぼもあったという。
水車小屋もきっとあったと想える。
警視総監になった人も小学生のとき、此処で集団疎開されていらっしゃる。
優秀な人で東大卒業後警察官。
その警視総監に鳴られた人は、戦後此処に参拝されていた。
そういう歴史の話聴くと、多摩の札所になっているのがわかる。
御墓は、つくし野駅から来ると坂降りる形になるので、
此処に御墓建てたい人多いかも知れない。
横浜線成瀬駅からも来れるので、御墓これから買う人おすすめ。
十年以上前、町田市公衆浴場金森湯に行った事があったが、
こんな素敵なお寺さんがあったとは知らなかった。
小川流れていた場所住所、“小川”
昔小川、今は暗渠?!
観音堂は平成時代、曳屋されて土台改築保存。
山寺の下から山寺の全景。
お檀家さん農家さんは今も井戸水で大根など洗っている。
山門
もともと沼地帯だった場所埋立して駐車場。
シャリンバイという植物、秋に実がなるが、食べるのでなく、染料の材料。ドライフラワーに園芸用に人気だと住職さま教えて下さった。
本堂改築するため江戸時代からの銀杏切ったら銀杏の木なか空洞だった。
樹命二百年だそうだが、おおっきく成らないのは、このお寺さん土地が岩盤だそうだから。
戦争中品川区の小学校生徒が疎開された、その祈念の石碑。
この石碑に書かれた住職は、いまの住職のお父様。らしい。
多摩の札所第96番は、多摩八十八ヶ所の番外だけれども、誰が造ったか身元不明。
檀家さんが花瓶など持ってくる。そう。
カラスや鳥が来る為の花鉢。
御住職さま尼さん、空海さまの高野山で僧の資格取ったそう。
鐘撞堂ほか。
この観音堂は、もともと大正時代に造られたもの。今はない、檀家さんだった造り酒屋さんの持ち物だった。此処で護摩も焚かれる。
覗くと護摩壇あった
観音堂。
町田市がまるごと見えた。
御墓入り口。
武相寅年薬師霊場22番札所 福寿院
町田の住宅地の中にあるお寺様
以前 小机領33観音開帳の時にもお伺いさせていただいたお寺です
車道からは少々奥まったところの高台に有るので 思いのほか静かで落ち着いた感じのお寺です^^
前回の時は別棟の観音堂でのご挨拶でしたが、今回は本堂にてお参りとなりました^^
本堂 こちらにお薬師様も^^
手水^^ 水なし代わりにお花が^^
鐘堂
観音堂 前回子年観音開帳でお伺いしたときはコッチでした^^
子年観音巡礼シリーズ 31
東急田園都市線「つくし野駅」下車。
霊場唯一の都内にある真言宗寺院。
観音様のご本尊は十一面観世音菩薩。
薬師如来霊場も兼ねています。
本堂です。
六地蔵です。
観音堂。
卯月ご開帳シリーズ 35
東急田園都市線「すずかけ台」駅下車徒歩10分。
武相薬師如来霊場第24番札所の真言宗寺院。
2年前の子年観音ご開帳以来の再訪です。
前回の旧小机領子年観音霊場の碑です。
観音堂です。
本堂です。
穏やかな日和です。
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