おおたひめいなりじんじゃ
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太田姫稲荷神社ではいただけません
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太田姫稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月21日(土)
参拝:2024年9月吉日
神田駿河台にご鎮座される太田姫稲荷神社はもとは一口稲荷(いもあらいいなり)と称し、小社ながらも大変由緒のある伝承をもつ神社になります。
【創建について】
長禄2年(1458)太田道灌が娘の疱瘡平癒を祈り江戸城内に山城国一口里(いもあらいのさと)より勧請したとあります。
他にも慶安元年(1648)9月若松菊次という人の寄付で建立されたとする話や、元和元年(1615)建立とする話もありますが、これらは年代から、家康の江戸城改修の際に遷座された時の話かもしれません。
【縁起】
承和6年(839)小野篁(おののたかむら)が隠岐国への配流中に海が荒れ、身の危険を感じ観音経を唱えると、白髪の老翁神が出現し
「才識秀れた汝は程なく都へ帰れるだろう。しかし疱瘡を患う兆しがみえるので我が身を写して祀るがよい。さすればその憂なかるべし。」
と告げられ、お告げを護り自ら翁の像を刻んで護持し、後に山城国一口里に神社を祀ったとされます。
---------------
一口とは「疱瘡(いも)を洗い落とす」の意味で、疱瘡除けを祈願する疫神の社のことです。後に太田道灌が勧請したとされるこの社は、京都府久世郡の「豊吉(ほうよし)稲荷神社」ではないかとされています。
証明する資料はありませんが、昭和58年に太田姫稲荷神社の氏子家の娘さんが、京都府宇治市へ嫁いだことがきっかけで、本社・分社の友好関係を結ばれたとの話があるそうです。
この縁起の中に出てくる老翁神は、自らのことを「太田姫命」と名乗りました。
後に太田道灌の前に白狐が現れ鬼門に祀れと告げたのもこの神と言われています。
私は今回調べるまで、ずっと太田道灌の姫さんにちなんで「太田姫」なのだと思い込んでいたので、白髪のお爺様が姫?
…(・o・)…?と最初混乱しました笑💦
古い縁起には「洛陽東寺の鎮守・太田姫命」と名乗っていることから、弘法大師が出会ったという稲を荷なった老翁神のことだと推察されるようです。
【4つの太田姫稲荷神社】
かつて太田姫稲荷神社と称する神社は江戸市中の4ヶ所に祀られ、江戸城の四方の鬼門除けとされていたという古老の伝承があるといいます。その社とは、
①駿河台(当社)
②麹町(駿河台の分社)
③東京駅のあたり(すでに場所はわからない)
④現在の九段北にある一口坂のあたり(明治の頃坂の上に小祠があったらしい。それが太田姫稲荷かはわからないが、坂の名が一口なので可能性は高い)
この4社とされています。
伝承を裏付ける証拠は残っていないそうですが、私の知るところでは、神奈川県座間市にも「四方固めの稲荷」といって4つの稲荷社で村に結界をはり守っていた伝承があるので、こういうのは、もしかしたら知らないだけでいろいろな地域であるのかもしれません。
太田姫稲荷神社は学生時代によくお参りさせていただきました。今回はその懐かしさと、太田道灌公ゆかりの神社巡りとして再び訪れたのですが、こんなに興味深い伝承があったとは。
参考にさせていただいた文献は大変面白く、その取材力に頭が下がります。(見習いたいです)興味がありましたらぜひ読んでみて下さい。
※参考・引用文献※
西郊民俗1993(145)
いもあらいの神―東京都千代田区太田姫稲荷神社/長沢利明
【創建について】
長禄2年(1458)太田道灌が娘の疱瘡平癒を祈り江戸城内に山城国一口里(いもあらいのさと)より勧請したとあります。
他にも慶安元年(1648)9月若松菊次という人の寄付で建立されたとする話や、元和元年(1615)建立とする話もありますが、これらは年代から、家康の江戸城改修の際に遷座された時の話かもしれません。
【縁起】
承和6年(839)小野篁(おののたかむら)が隠岐国への配流中に海が荒れ、身の危険を感じ観音経を唱えると、白髪の老翁神が出現し
「才識秀れた汝は程なく都へ帰れるだろう。しかし疱瘡を患う兆しがみえるので我が身を写して祀るがよい。さすればその憂なかるべし。」
と告げられ、お告げを護り自ら翁の像を刻んで護持し、後に山城国一口里に神社を祀ったとされます。
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一口とは「疱瘡(いも)を洗い落とす」の意味で、疱瘡除けを祈願する疫神の社のことです。後に太田道灌が勧請したとされるこの社は、京都府久世郡の「豊吉(ほうよし)稲荷神社」ではないかとされています。
証明する資料はありませんが、昭和58年に太田姫稲荷神社の氏子家の娘さんが、京都府宇治市へ嫁いだことがきっかけで、本社・分社の友好関係を結ばれたとの話があるそうです。
この縁起の中に出てくる老翁神は、自らのことを「太田姫命」と名乗りました。
後に太田道灌の前に白狐が現れ鬼門に祀れと告げたのもこの神と言われています。
私は今回調べるまで、ずっと太田道灌の姫さんにちなんで「太田姫」なのだと思い込んでいたので、白髪のお爺様が姫?
…(・o・)…?と最初混乱しました笑💦
古い縁起には「洛陽東寺の鎮守・太田姫命」と名乗っていることから、弘法大師が出会ったという稲を荷なった老翁神のことだと推察されるようです。
【4つの太田姫稲荷神社】
かつて太田姫稲荷神社と称する神社は江戸市中の4ヶ所に祀られ、江戸城の四方の鬼門除けとされていたという古老の伝承があるといいます。その社とは、
①駿河台(当社)
②麹町(駿河台の分社)
③東京駅のあたり(すでに場所はわからない)
④現在の九段北にある一口坂のあたり(明治の頃坂の上に小祠があったらしい。それが太田姫稲荷かはわからないが、坂の名が一口なので可能性は高い)
この4社とされています。
伝承を裏付ける証拠は残っていないそうですが、私の知るところでは、神奈川県座間市にも「四方固めの稲荷」といって4つの稲荷社で村に結界をはり守っていた伝承があるので、こういうのは、もしかしたら知らないだけでいろいろな地域であるのかもしれません。
太田姫稲荷神社は学生時代によくお参りさせていただきました。今回はその懐かしさと、太田道灌公ゆかりの神社巡りとして再び訪れたのですが、こんなに興味深い伝承があったとは。
参考にさせていただいた文献は大変面白く、その取材力に頭が下がります。(見習いたいです)興味がありましたらぜひ読んでみて下さい。
※参考・引用文献※
西郊民俗1993(145)
いもあらいの神―東京都千代田区太田姫稲荷神社/長沢利明
すてき
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ひなぎく490投稿
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